Introduction
新任教授からのメッセージ
新しく着任した教授 を紹介します
6月から7月にかけて3人の教授がiPS細胞研究所加わりました。軟骨、血液、膵臓と 、それぞれ異なる切り口でいち早くiPS細胞を患者さんの治療に結びつけるための研究を目指します。
増殖分化機構研究部門 妻木範行 教授
「軟骨は治らない」先輩の発した言葉が 研究を始めるきっかけに
これまで整形外科医として患者さんを診ながら、軟骨の発生・分化に 重要な遺伝子の機能を調べてきました。iPS細胞研究によって明らかに なってきた細胞のリプログラミング技術を応用することで、患者さんの皮 膚細胞から純粋な軟骨細胞を誘導することが可能になりつつあります。 私たちは軟骨の基礎研究、誘導する技術の確立、病態の解明、薬剤の探索などを通して行い、軟骨疾患の治療法を開発したいと考えています。
臨床応用研究部門 江藤浩之 教授
iPS細胞から血液を創りだし、 新しい輸血治療の門戸をあける
これまで、『核のない』細胞である血小板や赤血球 をiPS細胞から誘導することが早期の臨床応用に繋がると考え、その誘導技術を確立してきました。CiRAではこれらの分化した細胞をつくり出す細胞集団がiPS細胞から生み出され維持されるための詳細な分子機構を明らかにし、最終的に献血に頼らない輸血方法の確立に取り組みます。同時に慢性的なドナー不足に対する解決策として造血幹細胞をつくり、造血幹細胞移植の臨床展開を目指します。
臨床応用研究部門 川口義弥 教授
一見遠回りかもしれないが、生命現象に学んだ事を大切に応用へと結び付けたい
ES細胞、iPS細胞の登場以降、糖尿病に対する再生医療に向けて多くの研究者が膵内分泌細胞誘導に挑んできましたが、未だインスリン分泌に必要な膵島は作製できていません。医師として病気を直に知っている強みを活かして、異所性膵形成などの先天異常や疾患などがどのように起きているのかを探り、さらに膵島形成に関する脊椎動物の進化や発生の視点を加えて捉え、これらの生命現象から学んだ知見をiPS細胞の分化誘導に生かし機能的な膵島形成に挑みます。
New Research
前川桃子助教インタビュー
工夫を重ねて出会えたGlis1 が見せてくれた可能性
この春までCiRAに所属していた前川桃子助教(現 京大ウイルス研究所)と山中伸弥所長のグループによる論文 ( 注 1 )が 、英国科学誌『 Nature 』に掲載されました。前川助教が研究成果について語りました。
iPS細胞作製に関わる遺伝子 を網羅的に探す
私は、もともと細胞内のシグナルのネットワークに興味をもっており、体の細胞がiPS細胞へと変化していく過程のメカニズムを知りたいと思ったのがこの研究を始めたきっかけです。iPS細胞を作製する時に用いる4遺伝子(Oct3/4, Sox2, Klf4, c-Myc)の他にも体細胞をiPS細胞へと誘導する因子がまだあるのではないかと考え、産業技術総合研究所の五島直樹主任研究員のグループにヒトの完全長cDNA(注2)ライブラリーを提供して頂き、まずはKlf4の代わりとなる転写因子(注3)を探すことにしました。2万個以上あるヒトの遺伝子の中から候補を探すのですから、スクリーニングのシステムをしっかり構築する必要があります。一年以上かけて入念に準備をし、転写因子を片っ端から調べたところ、18の転写因子が候補に上がりました。そのうちのひとつGlis1について詳しく調べてみると、ES細胞ではほとんど発現せず、未受精卵でたくさん発現していることがわかりました。もともとES細胞に似た細胞をつくろうと目指した結果生まれたのがiPS細胞で、iPS細胞の作製に用いられる4因子はES細胞で発現する遺伝子の中から見つけられたものです。ところが、網羅的に調べたおかげで、ES細胞ではほとんど発現していないGlis1と出会うことができました。では、Glis1は細胞内で何をしているのでしょうか。詳細な解析をしてみることにしました。
安全なiPS細胞だけが増える
Klf4の代わりとして見つかったGlis1ですが、他の組み合わせも試してみました。Glis1 とc-Myc以外の3因子と合わせてiPS細胞を作製してみると、Glis1を加えずに通常の4因子で作成した場合とほぼ同数のiPS細胞のコロニー(注4)がマウスでもヒトでも得られました。これだけでも驚く結果なのですが、iPS細胞になり損ねてがん化など臨床応用で問題になるような細胞の割合が格段に減りました。(イラスト参照)Glis1にはiPS細胞の数を増やすだけでなく、iPS細胞になり損ねた細胞が増えないようにする働きがあったのです。その後、iPS細胞としてさまざまな組織に分化する能力があることも確かめました。
基礎研究に基づいた安全で効率のよいiPS細胞に向けて
この研究ではiPS細胞に至る細胞内の初期化のメカニズムを知る上で大切なデータが得られた上に、効率よく安全なiPS細胞の作製に役立つ因子が見つかり、とても嬉しく思っています。これまでにCiRAでは、遺伝子を染色体に組み込まないエピソーマルベクター(注5)で腫瘍ができる危険性を下げ、腫瘍形成に関わると考えられているc-Mycの代わりにL-Mycが有用であることを明らかにしてきました。これらの研究の蓄積を組み合わせ、より安全なiPS細胞樹立方法への道が開くと考えています。今後は基礎の面から幹細胞の分化にとりくんでいきたいと考えています。(談)
iPS細胞誘導時にできるコロニーのうちiPS細胞になるコロニーの割合
Glis1を加えてiPS細胞を作製すると、マウスでもヒトでもiPS細胞になり損ねる割合が大きく減り、効率よくiPS細胞ができることがわかった。
Glossary
注1 Direct reprogramming of somatic cells is promoted by maternal transcription factor Glis1
「転写因子Glis1による体細胞リプログラミングの促進」
(Momoko Maekawa, Kei Yamaguchi, Tomonori Nakamura, Ran Shibukawa, Ikumi Kodanaka, Tomoko Ichisaka, Yoshifumi Kawamura, Hiromi Mochizuki, Naoki Goshima, and Shinya Yamanaka)
注2 cDNAとは細胞核のDNA配列を鋳型に写しとったmRNA配列をさらに鋳型として合成したDNAのこと。mRNAの配列情報を基にタンパク質は合成されるので、mRNAにはタンパク質全長の配列情報が含まれる。つまり、cDNAがあればタンパク質を合成することができるのである。
注3 DNAに結合することで、遺伝子がmRNAへと転写される量を制御するタンパク質の一群のこと。iPS細胞を作製するために用いるOct3/4, Sox2, Klf4, c-Mycはすべて転写因子である。
注4 コロニーとはひとつの細胞が分裂して増えた、同じ遺伝子セット(ゲノム)をもつ細胞集団のこと。異なる細胞が混ざっているときには、それらから1つの細胞を取り出してコロニーを形成させ、この手順を繰り返すことで、同じ遺伝子セット(ゲノム)をもつ細胞の集団にできる。
注5 エピソーマルベクターとは環状DNAプラスミドの一種。細胞の染色体には取り込まれずに、自律的に複製する遺伝子の運び屋。
Interview
高橋 和利講師インタビュー
iPS細胞を用いた
生殖細胞研究を開始する
高橋和利講師らのグループが、本年4月までに文部科学省に受理された、ES/iPS細胞から生殖細胞を作る方法を確立するための研究に着手しました。高橋講師に研究計画についてお話を伺いました。
CiRAがiPS細胞を用いた生殖細胞研究を行う目的は?
この研究の目的は、ヒトES細胞とヒトiPS細胞から生殖細胞への分化誘導法の開発とその方法の最適化を行うことです。作製した配偶子(精子と卵子)の受精は行いません。
これまで、ヒトの生殖細胞を扱う研究は、研究用の組織を入手できず、ほとんど研究ができませんでした。1998年にヒトES細胞の作製が報告され、体外で生殖細胞を誘導する研究が理論上は可能になりましたが、日本では倫理的な観点からヒトES細胞から生殖細胞を作製することは時期尚早として政府の指針で規制されていました。
iPS細胞の開発後、幹細胞を使った生殖細胞研究の実施について、動物を用いた研究の進展状況を元に議論が行われ、昨年、必要な指針が整備され、ヒトES細胞やiPS細胞を使って生殖細胞を作製する研究が認められることになりました。
この研究は、将来、どのようなことに役立つのですか?
生殖細胞への分化誘導法が開発できれば、将来、これまでできなかったヒト生殖細胞の分化機構を解明する研究、不妊症の原因解明、患者さんの細胞を使った治療薬の開発や安全性試験などが可能になると考えています。こういう研究に繋げる基礎研究を開始することになったのです。今回の研究計画では、患者さんから細胞をいただいて実験を行うことは含んでいません。
世界では生殖細胞研究は、どれくらい進んでいるのですか?
人間の生殖細胞の発生研究については、研究材料が得られなかったことから研究データは乏しいです。哺乳類の生殖細胞がどのようにできるかなどの研究は、マウスなどの実験動物を使って研究が進められてきました。マウスES細胞などの幹細胞から体外培養で生殖細胞を誘導する研究も行われており、幹細胞から精子や卵子が作製できたという研究報告もあります。これらのマウスの研究成果を参考に、ヒトのES細胞から、精子や卵子の元になる始原生殖細胞という未熟な生殖細胞が作製できたという結果が、海外の研究者からいくつか報告されています。
今回はどのような研究をするのですか?
生物の身体ができあがる過程では、受精卵が細胞分裂を繰り返し、身体を形作る各組織の細胞に変化していきます。(11ページ参照)この細胞が変化していく過程は『分化』と呼ばれます。
細胞の分化過程では、各組織へと変化を促す物質などが適切な濃度、適切なタイミングで分泌され、それらが刺激となって細胞の分化が起こります。生殖細胞に限らず、iPS細胞などから体の様々な組織の細胞を作製する研究では、体内で起こっている細胞の分化過程を体外で再現しようとしています。つまり、未分化なiPS細胞などの幹細胞に適切な刺激を与え、目的の細胞に変化させるのです。
今回取り組む生殖細胞への分化誘導法の開発では、まずは先行研究の知見を元に、効率良くヒトiPS細胞を始原生殖細胞に分化させる培養条件を開発することが目標です。そして、それができれば、次の段階の精原細胞や卵原細胞に分化する培養条件を見出すという具合に研究を進める予定です。これは生殖細胞の分化過程を体外で再現しようとする研究です。
生殖細胞研究を進める上で、考えておくべきことは?
昨年まで生殖細胞研究が禁止されていた背景には、生殖細胞の分化誘導研究が進むことで、人工的に作られた精子や卵子などを利用した個体産生(生命体の誕生)に繋がるという懸念や、動物実験による知見の蓄積が乏しかったことなどがあります。
昨年の指針改正と新指針策定では、個体産生に繋がる可能性を残す受精卵の作製は認めていませんが、将来の医療の発展に必要な研究として、生殖細胞研究が認められました。私たちはこの研究を進めるにあたり、倫理的問題に対する認識を深めておく必要があると考えています。
そこで、CiRAや京大内の研究者や職員を含めて、現在考え得る問題点を技術、倫理、社会の観点から洗い出し、解決法を考えるグループディスカッションを行っています。
私たちの研究目標は、この技術の構築により生物の仕組みを理解することや不妊症の原因解明から新しい薬や治療法の開発に貢献することです。しかし、このような研究は社会的に理解されて進めることが重要と考えています。ですから、社会と適切に議論しながら研究を実施していきたいと考えています。
Column
ランドスケープ
ヨーロッパで特許成立!
7月11日に京都大学で開かれた記者会見に出席した山中伸弥所長と高須直子知財契約管理室長
このほど、山中伸弥所長の研究グループが世界で初めて作製した iPS細胞の基本技術に関する特許がヨーロッパで成立しました。
山中所長らが発明したiPS細胞基本技術特許に関しては、すでに日本では3件、シンガポールで2件、南アフリカとユーラシアで各1件成立していますが、海外の主要地域で成立したのはこれが初めてです。
iPS細胞は、皮膚細胞などの体の細胞にいくつかの遺伝子を導入し、培養して作られます。導入する遺伝子は「初期化因子」と呼ばれます。今回ヨーロッパで成立した特許の内容は、iPS細胞作製時に使われるOctファミリー、KlfファミリーおよびMycファミリーを含む初期化因子、またはOctファミリー、Klfファミリーおよびサイトカインというたんぱく質を含む初期化因子に関するものです。
企業が上記の初期化因子の組み合わせを使って、ヨーロッパでiPS細胞を作製する場合は、この特許のライセンス許諾を受ける必要があります。今回成立したiPS細胞基本特許は、iPSアカデミアジャパン社がライセンス供与しています。特許の権利期間は2006年12月6日から20年間です。
この特許は、遺伝子の「ファミリー」という範囲をカバーしています。例えば、「Myc」ファミリーであれば、c-MycもL-Mycも含まれます。また、遺伝子だけでなく遺伝子産物にも権利が及ぶので、例えば、その遺伝子ファミリーがコードするたんぱく質を使用してiPS細胞を作製する場合も含まれます。このように広汎な領域をカバーする特許権ですから、ヨーロッパで大きな影響があるものと考えられます。
基本技術に関する特許権を京都大学が取得することは、多くの企業や学術機関が安心してiPS細胞研究や医療応用に取り組める環境作りに貢献できると考えています。
山中所長は、この特許がヨーロッパで成立したことにより、「今後ますます海外での産業化が進むものと期待しています。私達も一日も早い実用化を目指して研究に邁進すると共に、多くの企業が安心してiPS細胞研究や商業化に参入することができるように、今後も関連する知財の確保を進めていきたいと思います」と話しています。
Column
CiRAで働く人々
「人の役に立つ研究がしたい」
高橋和利講師らと共に生殖細胞研究に取り組む、フィンランド出身の研究員のサリタ・パヌラさん
フィンランド出身の研究員サリタ・パヌラさんは、山中伸弥研究室でヒトiPS細胞から生殖細胞を作製する研究を始めています。(6 ー7ページ参照)
パヌラさんは、高校時代に医学生物学に興味を持ち、「人の役に立つ研究がしたい」と思いサイエンスの世界に足を踏み入れました。フィンランドの大学では分子細胞生物学を専攻し、医療応用レベルのヒトES細胞作製を目指した研究を行っていました。
修士課程修了後に渡米し、スタンフォード大学の研究室でラボマネージャーとして研究資金の申請業務や試薬発注等の仕事をするかたわら、生殖細胞研究を行っていました。自身の研究プロジェクトを持ち、徐々に研究に費やす時間が増えるにつれ、より研究に集中したいと思うようになり、研究者として働く道を選んだとパヌラさんは話します。
「CiRAの研究環境は、人も設備もそろっていて素晴らしい」とパヌラさん。特に、山中研究室には、細胞の遺伝子発現を確認できるようなレポーター細胞等の研究ツールが豊富にあり、生殖細胞が出来るメカニズムを解析するのに非常に有用であると話します。
CiRAの恵まれた研究環境に満足している半面、高温多湿の日本の気候や言語になじめずホームシックになったこともあるそうです。
「日本はとても清潔で安全な国です。そして、長い歴史を持つ面白い国でもあります。日本人はとても礼儀正しく静かでシャイですね。」とパヌラさん。「アメリカと比較して研究環境に遜色はありませんが、アメリカの方が柔軟で自由な雰囲気があります。例えば、スタンフォードでは皆自分の好きな時間に出勤することなどです。」
生殖細胞研究は未知の領域が多く、それだけに研究を進めるのも難しい分野です。しかし、不妊症などに悩む人々も多く、研究に期待が寄せられる分野でもあります。このような困難な研究を続ける最大のモチベーションは、「その成果を待つ患者さんの存在」だとパヌラさんは語ってくれました。
News
CiRAアップデート
7/1
江藤浩之教授と齋藤博英特任准教授(「山中–バルザン基金」研究者)が主任研究者として着任しました。
(3ページ参照)
7/1
7月1日(金)‐9月30日(金)の間、1階ギャラリーの照明と空調の電源を切り、節電を行っています。
6/19
山中伸弥教授と高橋和利講師が国際幹細胞学会(ISSCR)が新たに創設したISSCR マキュアンセンター・イノベーション賞を受賞しました。
6/16
カナダのトロントで開催されたISSCR年次大会で、CiRAの研究活動を紹介し、国際的な認知度を上げるために、ブースを出展しました。(写真参照)
6/9
前川桃子助教(京都大学ウイルス研究所)と山中教授の研究グループは、五島直樹主任研究員(産業技術総合研究所)の研究グループとの共同研究の成果を英国科学誌
「Nature」に発表しました。(4 ー5ページ参照)
6/4
東央晋研究員(CiRA所長室)と山中教授らによる、iPS細胞の命名法に関する意見が、米国科学誌
「Cell Stem Cell 」6月3日号に掲載されました。
6/1
6月1日付けで、川口義弥教授と妻木範行教授が、新主任研究者として着任しました。 (2-3ページ参照)
5/26
沖田圭介講師の研究グループの岩渕久美子研究員らは、ES細胞に特異的に発現する因子の一つであるECAT11(L1td1)がマウスES細胞の多能性維持には必須ではないものの、iPS細胞誘導の極めて早い段階から発現することを見出し、米国オンライン科学ジャーナル「PLoS ONE」で報告しました。
5/4
米国科学アカデミー(National Academy of Sciences: NAS) は、年次総会で、山中教授を外国人会員に選出しました。
4/8
高橋和利講師らのグループの生殖細胞に関する研究計画が、4月8日に文部科学省に受理されました。(6-7、11ページ参照)
4/4
沖田講師と山中教授らの研究グループは、岐阜大学、理化学研究所、NPO法人HLA研究所などとの共同研究により、遺伝子挿入のないヒトiPS細胞のより簡便な樹立法の開発に成功したという論文が、米国科学誌「Nature Methods」のオンライン版に掲載されました。(ニュースレター5号参照)