COMMUNITYCiRAから羽ばたいた人たち

iPS細胞とゲノム編集技術で遺伝疾患の治療法を探索する

武田薬品工業株式会社(以下、「タケダ」)で神経変性疾患に関わる創薬研究を行う李紅梅さんは、2011年から約4年間、博士課程をCiRA堀田秋津研究室で過ごしました。「今の研究の軸はCiRAにある」と話す李さんに、CiRA卒業後と今のお話を聞きました。

iPS細胞との直感的な出会い

 2002年に中国から日本に渡り、ECC日本語学院で日本語を勉強し、名古屋工業大学を学部、修士を卒業、CiRAで博士課程を過ごした後、2015年にはハーバード大学医学大学院で博士研究員(ポスドク)をすべくボストンに渡りました。CiRAに所属してから現在までの約10年間の研究の歩みは変化に富んでいましたが、私の研究を進める手法の軸は変わりませんでした。それはiPS細胞とゲノム編集技術(※1)を用いて遺伝疾患がおこる仕組みを解明し、薬を作るヒントを探ったり、診断するための指標を探したりし、治療に結びつけるという手法です。
 日本語を身に着け、名古屋工業大学および大学院の修士へ進学し、生命応用化学・未来材料創成工学を学びました。修士を卒業後、京都大学大学院エネルギー科学研究科の博士課程に進学しました。ただし、そこでは自分が本当に社会に役に立つ研究をやっているのだろうかと疑問に思っていました。
 迷っていたときに、たまたま目にしたのがiPS細胞に関する新聞記事でした。「これだ!」今思えばこのときの直感から、私の新たな人生は始まりました。
 京大医学研究科の博士課程へ進み、CiRAでゲノム編集技術を用いてデュシェンヌ型筋ジストロフィー(以下「DMD」)(※2)の遺伝子修復について研究しました。私はDMDの患者さんからiPS細胞を作製し、病気の原因であるジストロフィン遺伝子の変異をゲノム編集技術で修復することに成功しました。
 それは治療法のない難病を克服する遺伝子治療の可能性を示した研究でした。当時、患者さん由来のiPS細胞を用いたゲノム編集技術による遺伝疾患の修復は、分野として非常に新しい試みであったため、論文を発表した後、非常に注目が集まり、国内外のメディアに取り上げられました。一番嬉しかったことは、DMDの患者さんの家族からCiRAに感謝の手紙が届いたことでした。臨床まではまだ遠い道のりがあるものの、少しは社会還元できたと実感しました。そして、これからもさらに希少疾患の研究を続けていきたいと決心しました。

挫折から創薬の道へ

 CiRAで研究していたころから、がんを研究する研究者は多いが、希少疾患の研究者は少なく、医療が前進しないことが不公平だと感じるようになりました。それ以降、私の関心は遺伝疾患の中の、さらに希少疾患に向けられていきます。
 希少疾患をやるならアメリカだろうと考え、私はハーバード大学医学大学院のボストン小児病院で嚢胞性線維症(※3)と呼ばれる遺伝疾患を研究することにしました。嚢胞性線維症は、多くが遺伝子の変異が原因です。しかしボストン小児病院には、変異を持っていても発症しないという方もいらっしゃいました。私は時間をかけてその原因を探るため、患者さんからiPS細胞を作製し、ゲノム編集技術で変異を修復し、治療法の研究となるモデルを作り上げました。
 そして3年目のある日、3日後に控えた学会の招待講演の準備をしていたときのことです。とある製薬企業から嚢胞性線維症の治療薬が発表されたのです。その効果は当時の私の研究チームのメンバーも認める、文字通り“画期的”な治療薬でした。3年間研究した後に遭遇したこの出来事に、私は「一体、何をやっているんだろう?」と無力感を覚えました。しかし同時に、「私も画期的な薬をつくりたい」と創薬に携わる決意をしました。
 当時は挫折感もありましたが、私たちが目標としていた嚢胞性線維症の患者さんを救うことは、その薬で実現されたのです。私たちのやってきたことを認め、自信を持ってプロジェクトの取りやめを決意しました。

居心地のよい場所を去る、私の生き方

 創薬に携わる研究がしたいと思い、次に選んだのがタケダでした。ボストンでタケダの研究員と出会ったことがきっかけでした。
 現在はタケダで、アルツハイマーなどの神経変性疾患の創薬に結びつけるために、疾患の原因になる遺伝子や診断をするための指標を、iPS細胞とゲノム編集技術を用いて探索することが主な研究です。タケダは、ダイバーシティに富んだ環境で、多様なバックグラウンドと国籍を持つ人が集まり、研究開発を進めています。
 私が個人的に将来に取り組みたいことは、神経変性疾患の予防医学です。脳内に異常なタンパク質が蓄積することで認知症を引き起こすアルツハイマー型認知症などの神経変性疾患は、発症後の対処が非常に難しいです。病態を解明し、診断をするための指標を特定することで、発症前に予防することができないかと考えています。
 私がキャリアで大切にしていることは、居心地がよくなったら次の場所に移りチャレンジすることです。同じ場所に長く留まり、居心地がよくなってしまうと、私は挑戦することを忘れてしまう。その状況をこれまで意図的に避けてきました。その結果として、今の経歴があります。
 その中で、今も大切にしている研究の軸を学んだ場所が、他ならぬCiRAでした。CiRAは私の研究者人生が始まった場所であり、これからも軸足を置く場所なのです。

※1 ゲノム編集技術:2012年に発表されたクリスパー・キャス9(CRISPR/Cas9)などに代表される、細胞の中にある遺伝情報を必要に応じて切り貼りして編集をする技術。
※2 デュシェンヌ型筋ジストロフィー(Duchenne muscular dystrophy;DMD):ジストロフィンという遺伝子に変異が生じ、筋肉の衰弱が進行していく遺伝疾患。
※3 嚢胞性線維症(cystic fibrosis;CF):主に消化器系と呼吸器系に症状を呈する、外分泌腺の遺伝疾患。

李 紅梅 り こうばい(リサ)

武田薬品工業株式会社R&Dリサーチニューロサイエンス創薬ユニット 主席研究員。2008年に名古屋工業大学卒業。2010年に同学修士課程修了。2011年京都大学エネルギー科学研究科博士課程(中退)。2011年から2015年まで、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)博士課程。2015年から2018年までハーバード大学医学大学院ボストン小児病院で博士研究員(ポスドク)。2018年より現職。

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