患者さん由来iPS細胞でALS病態解明・治療薬シーズを発見 Science Translational Medicineに掲載
江川斉宏研究員(京都大学CiRA/JST CREST)、北岡志保研究員(元京都大学CiRA/JST CREST)、井上治久准教授(京都大学CiRA/JST CREST/JST山中iPS細胞特別プロジェクト)の研究グループは、山中伸弥教授(京都大学CiRA/同物質-細胞統合システム拠点/JST山中iPS細胞特別プロジェクト)や高橋良輔教授(京都大学大学院医学研究科)らの研究グループと協力し、ALS(筋萎縮性側索硬化症)注1)患者さんから樹立したiPS細胞を用いて、ALSのこれまで知られていなかった病態を解明し、ALSに対する新規治療薬シーズを発見しました。この研究成果は米国科学誌「Science Translational Medicine」に発表されました。
- ALSは病態に未解明の部分が多いために、治療薬開発が進んでいなかった。
- ALS患者さんの細胞から樹立したヒトiPS細胞注2)を用いて、ALS患者さんの病態を細胞レベルで再現するモデルを構築し、これまで知られていなかったALSの病態の一端を明らかにした。
- ALS患者さんのiPS細胞を用いた世界で初めてのALS治療薬シーズ注3)の発見である。
- ALSの新薬開発や発症メカニズムの解明にとって大きな一歩である。
ALSは運動ニューロン注4)が変性することで次第に全身が動かなくなり死に至る疾患です。これまではALS患者さんから運動ニューロンを取り出すことができなかったために、患者さんの病態をそのまま反映するモデル注5)を作ることが難しく、ALS治療に有効な治療薬開発は進んでいませんでした。
本研究では、TDP-43というタンパク質をコードする遺伝子に変異を持つ家族性のALS患者さんから樹立したiPS細胞を用いて、運動ニューロンを分化 誘導しました(ALS運動ニューロン)。このALS運動ニューロンには、ALS病理組織の運動ニューロン内で見られるものと類似の、タンパク質の凝集体が 観察されました。さらに、ALSに罹患していない運動ニューロンと比較して、突起が短く、ストレスに対して脆弱になっていました。TDP-43というタン パク質は、健常な状態ではRNA注6)に結合して、RNAの合成・運搬等、RNA代謝注7)に関与するととも に、TDP-43自身の発現量を自己調節していることが知られています。ALS運動ニューロンの遺伝子解析から、ALSではTDP-43の自己調節が異常 をきたして、運動ニューロン内でTDP-43の発現量が増加し、神経細胞骨格の遺伝子発現や、RNA代謝に関連する分子の遺伝子発現に異常が生じているこ とを見いだしました。そこで、RNA代謝を調節することが知られている化合物をALS運動ニューロンに作用させたところ、それらの化合物の中でアナカルジ ン酸と呼ばれる化合物によって、TDP-43の発現量が低下し、ALS運動ニューロンのストレスに対する脆弱性が改善され、神経突起の長さが回復すること を発見しました。
以上の結果から、ALS患者さん由来のiPS細胞から分化誘導した運動ニューロンは、ALSの治療薬シーズを探索する病態モデル系として有効であることが示され、今後の新薬開発を大きく加速することが期待されます。
【論文名】
Drug Screening for ALS Using Patient-Specific Induced Pluripotent Stem Cells
【ジャーナル名】
Science Translational Medicine
注1) ALS(筋萎縮性側索硬化症)
筋肉が次第に萎縮し、全身の筋肉が動かなくなる病で、呼吸筋麻痺により亡くなる方が多い。運動ニューロン(神経細胞)に異常が生じることが原因であることがわかっているが、これまで有効な治療法は確立されておらず、日本では特定疾患に認定されている。
注2) iPS細胞
人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)のこと。体細胞に特定因子を導入することにより樹立される、ES細胞に類似した多能性幹細胞。2006年に山中教授の研究により世界で初めてマウス体細胞を用いて樹立に成功したと報告された。
注3) 治療薬シーズ
治療薬を開発する際にヒントとなる物質やアプローチ方法のこと。今回発見した治療薬シーズとは、アナカルジン酸がもつ分子構造と、アナカルジン酸によるストレスへの脆弱性の改善、神経突起長の改善、TDP-43発現量の改善という、ALSを抑制する効果のことである。アナカルジン酸と似た構造を持つ他の物質の方が、より効果が高い可能性もあり、また安全性や薬物動態なども確認する必要もあり、今回見つかった物質がそのまま薬剤になるとは限らない。
注4) 運動ニューロン
脳からの司令を骨格筋に伝える神経細胞のこと。突起を長いものでは数十センチにも伸ばして信号を伝えている。ALSの患者さんではこの神経細胞が変性・死滅することで骨格筋が動かせなくなる。ALS患者さんの運動ニューロンにはTDP-43というタンパク質が凝集していることが知られていたが、ALSの病態や発症メカニズムにどう関わるのか不明であった。
注5) 病態モデル
その病気に特徴的な症状や性質を再現したもの。研究を行う際には、病態モデルを用いて病気の原因究明や治療薬の開発を行う。これまでも病態を再現した実験動物が、病態モデルとして多くの基礎研究に利用されていた。ヒトの疾患特異的iPS細胞から病態が再現できれば、ヒト細胞を用いた基礎研究が容易になることが期待されている。
注6) RNA (Ribo nucleic acid: リボ核酸)
大きく分けて3種(mRNA, tRNA, rRNA)がある。mRNA(メッセンジャーRNA)は遺伝子の情報を写しとったもの、つまり設計図のコピーのようなもの、RNAの情報をもとにタンパク質がつくられるので、mRNAの数と種類を調べることで、細胞がどのようなタンパク質をどのくらい作ろうとしているのか、知ることが出来る。
注7) RNA代謝
DNAの情報を写しとった核内でRNA鎖が合成され、細胞質へと運搬され、タンパク質の合成に用いられるなどの役目を終えたRNAが分解される一連の流れをのこと。