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2025年11月20日

「理解」から「実践」へ:「ELSI研究プログラム」創始者ワトソン博士を偲んで

 久保田唯史特定研究員と三成寿作特定准教授京都大学CiRA上廣倫理研究部門)は、アヴィアド・ラズ教授(イスラエルのネゲヴ・ベン・グリオン大学)との共著論文において、生命医科学における倫理的・法的・社会的課題(ELSI)研究の今後の方向性を提案しました。本研究成果は、2025年6月18日に「Trends in Genetics」誌でオンライン公開され、11月に印刷版で出版されました。

 35年前に始まった「ヒトゲノム計画」注1)では、ヒトゲノムの解読という壮大な科学的野心の追求とともに、自然科学の研究プロジェクトにおいて、関連するELSI研究のために固定の予算枠を確保し安定的に支援するという画期的な取り組みが行われました。この方針をほぼ独力で推し進め、「ELSI」という概念の基盤を築いたのが、DNA二重らせん構造の解明で1962年にノーベル賞を受賞したジェームズ・ワトソン博士です。このアプローチは、「ヒトゲノム計画」にとどまらず、現在に至るまで、そして今もなおさまざまな研究・開発プロジェクトのあり方に影響を与えています。

 それまでは、科学研究に関する倫理的分析は、対象となる科学研究とは距離を置いて行われることが一般的で、それら分析活動と、規制枠組み・制度設計などの実践との間にも大きな隔たりがありました。ワトソン博士は、先端的な科学研究とELSI研究が協働的に取り組まれることで、社会に対し良い成果を具体的にもたらすことを目指し、ヒトゲノム計画という国際研究プロジェクトの中に、ゲノム研究に伴う倫理的・法的・社会的課題に取り組む「ELSI研究プログラム」を立ち上げます。この試みに関して、一部では、ワトソン博士がヒトゲノム計画を推し進めるためのパフォーマンスだったと見る声もありますが、本論文では、博士がヒトゲノム計画以前から、科学研究には倫理研究がセットで必要だと強く意識していたことを示しています。

 ワトソン博士の思いとは裏腹に、今日のELSI研究には分析を通じた「理解」の取組に留まり、社会設計などの実践から目を背けがちな姿勢が見られます。これは、ELSI研究がゲノム研究に対して「理解」に留まることを批判し、「社会に対して良い成果」を求める姿勢とも整合しません。そこで本論文は、社会の課題や期待などに応えるという目的意識を併せ持つ「engineering(工学)」的な姿勢が、自然科学分野の研究を「理解」に留めず、社会にインパクトをもたらす実践へと繋げていることに着目しました。ワトソン博士の設計理念に立ち返り、ELSI研究が社会設計に具体的なインパクトを生み出していくためには、ELSI研究もengineeringの姿勢を取り込み、実践への目的意識を伴って取り組むことが必要であると訴えています。また、これを実現するために、個々の研究者の意識変化だけではなく、社会設計に実務として携わる行政や、プログラムの設計・運営に携わる事務スタッフも含めた多様な関係者が目的意識を共有し積極的に関わる協働的な活動を具体的に提案しています。

 本年11月6日に米国で逝去したワトソン博士については、ノーベル賞受賞に代表される科学的功績の一方で、人種差別的な発言などから倫理的姿勢に対する批判的評価が多く寄せられています。だからこそ、科学だけが先走るのではなく、倫理的観点からの研究も一体となって取り組むことで、社会に知の恩恵をもたらすことを目指して彼が立ち上げたELSIプログラムの意義は大きいとも言えます。ワトソン博士の訃報に接し、改めてその理念を共有することが求められているのかもしれません。

論文名と著者
  1. 論文名
    Invigorating ELSI: reflexive approaches to enhance policy development
  2. ジャーナル名
    Trends in Genetics
  3. 著者
    Tadafumi Kubota1,2,*, Aviad Raz3, Jusaku Minari1,*
    *:共同責任著者
  4. 著者の所属機関
    1. 京都大学iPS細胞研究所 上廣倫理研究部門
    2. 早稲田大学 政治経済学術院
    3. Department of Sociology & Anthropology, Ben-Gurion University of the Negev, Beersheba, Israel
本研究への支援

本研究は、下記機関より支援を受けて実施されました。

  1. 公益財団法人 上廣倫理財団
用語説明

注1)ヒトゲノム計画
ヒトのDNA塩基配列を全て解読することを目的とした国際的な研究プロジェクト。1990年に開始され、2003年に完了が宣言された。ジェームズ・ワトソン博士は、このプロジェクトで中心的な役割を担った。

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