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Home › ニュース・イベント › CiRAシンポジウム質疑応答 2019年度

CiRAシンポジウム質疑応答
Q&A session

第13回 CiRA中高生・一般対象シンポジウム トークセッション

モデレーター 本多 環 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
特任教授
(本多と表記)
登壇者 山中 伸弥 CiRA所長・教授(山中と表記)
森 菜々香さん(森と表記)
佐々木 響さん(佐々木と表記)
関根 雄一郎さん(関根と表記)
安田 明子さん(安田と表記)

2019年8月20日(火)に開催された、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター・京都大学iPS細胞研究所共催シンポジウム「未来をひらく 科学の可能性~iPS細胞研究者が語る 夢を叶える力~」において、講演後、事前に寄せられた質問を中心にトークセッションを行いました。以下の文章はこの質疑応答を要約したものです。

関根

僕は震災前まで福島県郡山市に住んでいたのですが、その後、京都に引っ越して、いろいろな挫折を経験しました。そこで質問ですが、今まで身を置いていた環境から一変して、新しい環境に身を置くことになった場合、そこで感じるギャップにどのように対処すればいいのでしょうか。また、新しい環境で成功するためには、どのようなことを意識すればいいのでしょうか。

山中

僕にとって一番大きな、最初の環境の変化は、学生から研修医になったときです。朝から晩まで怒られ続けるという毎日で、かなり大変でした。どうやったらここから早く抜け出せるかなと考えたこともありました。ただ、挫折を何度も経験してみると、「人間万事塞翁が馬」だと強く感じます。「人間万事塞翁が馬」とは、中国の故事に由来する言葉で、人生における幸不幸は予測しがたいという意味です。例えば、研修医として働いていた当時はとても大変だと思っていましたが、その経験がきっかけで基礎研究者になり、アメリカに行き、研究員をしたわけですから、後から考えると研修医時代はチャンスでもあったというわけです。

望むと望まざるとにかかわらず、新しい環境に行くことはあると思うんですが、苦しいときは、これ以上悪くなるはずはない、これはチャンスだと思うようにしています。逆に、最近調子がいいなというときは、次に、悪いことが起こるかもしれないと思って、用心して乗り切るようにしています。

困ったり、病気になったりしたときに、助けてくださる人たちのおかげで、これまで成長することができました。なので、これからは、困っている人を助けることのできる人になりたいと思っています。そのような人になるためには、どうすればよいでしょうか。

山中

僕は、研究者を志す前は臨床医を目指していました。数年だけではありますが、研修医として日々の診療に当たりました。振り返ってみると、当時、僕に欠けていたと思うのは、患者さんに向き合うことです。当時は何十人もの患者さんを受け持っていて、睡眠時間もなかなか取れないほど忙しい日々を過ごしていました。そのため、実際にそれぞれの患者さんの顔を見てお話しするのは、多くても週に2回ぐらいでした。

しかし、その後自分自身が入院して初めて分かったのですが、主治医が来てくれない日が1日でもあると、ものすごく不安になります。一方、5分顔を出してくれるだけで、痛みや不安が和らぐこともあります。それに引き替え、自分は忙しさにかまけて、あまり患者さんに接してきませんでした。だからもし20代の新米の医師に戻ることがあれば、毎日、一人一人の患者さんに、少しの時間でもいいから、一言二言でもお話をしたいなと思っています。

これから森さんが医療に関わるかどうかはわかりませんが、もし医療の道に進まれるのであれば、医療というのはデータを見る仕事ではなく、患者さんを診る仕事であるということを覚えておいてほしいなと思います。

佐々木

私は、一つの目標を達成した後、モチベーションが維持できず、次の目標を見つけることができていません。山中先生はどのようにモチベーションを維持していますか。

山中

僕たちの今の目標は、iPS細胞を使った治療法を患者さんに届けることです。ヒトのiPS細胞ができてから、今年で12年ですが、実際に一般的な治療法になるまでには、これからまだ10年、20年とかかると思います。

iPS細胞研究がメディアに取り上げていただけるのは、何か進歩があったときだけです。しかし、1つの成功の陰には、10倍、100倍の失敗があり、日々、失敗に頭を抱えています。そんなときは、「もしこれが成功したら、難病の患者さんのための薬ができるかもしれない」と思ってがんばっています。

また、僕はマラソンをやっていますが、マラソンは急に走って完走できるものではなく、日々のトレーニングが重要です。毎日1時間ほど走っていますが、これが単に走るだけだと、特に夏の暑いときにはくじけそうになってしまいます。しかし、レースに出ると決めてしまうと、それに向かってがんばることができます。

ですから、僕はよく目標を口に出して、自分自身を追い込むようにしています。研究の場合は、iPS細胞を絶対に患者さんに届けたいということを、わざと公言しています。マラソンでは、このレースに出ますとか、自己記録を更新したいということを言ってしまいます。言ってしまうと、言ったからにはがんばらないとというモチベーションになりますので、そういうやり方もおすすめです。

安田

山中先生ご自身の子育ての中で、父親として、どのような関わりをされてこられましたか。また、何か大切だなと思ったことがあれば、教えていただきたいです。

山中

人生を振り返って、僕が一番楽しかったのは、2人の娘と過ごした時間です。僕が心掛けていたのは、抱きしめて愛情を見せることです。娘たちもアメリカで数年を過ごして僕の帰国と一緒に日本へ戻ったのですが、上の娘は日本の小学校に慣れるまで大変で、毎日泣いていました。そのとき、担任の先生から、「お父さんお母さん、抱っこしてあげてください」と言われました。これは素晴らしいことだなと思って、僕はできるだけ、娘たちを、機会あるごとに、ぎゅっと抱きしめてあげるということをやっていました。

子どもたちにとって、味方がいるということは、何にも増して心強いのではないかと思います。親から子へ愛情を伝えて、いつも味方だよというメッセージを出すことはすごく大切だと思っています。

本多

抱きしめるのが恥ずかしかったら、また違う形で、そのメッセージを出してあげるといいのかもしれないですね。

福島には、今、夢探しをしている子どもたちもたくさんいます。夢を見つけて、叶えるためには、どのような学生生活を送るといいと思われますか。

山中

僕がiPS細胞で患者さんを救うという夢を持ったのは、30歳になってからです。それまでの30年間は、夢探しの時間でした。ですから、中学生、高校生、大学生が、自分の夢が分からないというのは、ある意味当然だと思います。大切なのは、学生時代にいろいろなことを経験することだと思っています。子どものときの失敗というのは、やればやるほど経験になります。その中で、自分でも思っていなかったような夢が見つかることがあると思います。

僕も、学生時代に考えていたことと今やっていることは全く違います。学生時代は、けがをしたスポーツ選手の治療をするのが自分の夢でした。でも、今は、iPS細胞研究という全然違うことをしています。それは、父親の死や留学などの経験があってのことなので、みなさんも焦らずいろいろなことに挑戦し、夢を見つけていってほしいと思います。

本多

最後に、会場にいる子どもたちへのメッセージをお願いします。

山中

人生を振り返ってみると、本当に「人間万事塞翁が馬」だと感じます。苦しい時期が、次の飛躍の準備期間だったということが何度もありました。

高く飛ぶためには、思いきりかがまないと飛べないんです。立ったままでは、いつまでも飛べないんですね。それと一緒で、大変なことがあるときは、これは飛ぶために準備しているんだと思うようにしています。皆さんもぜひ、そう思って、大きな飛躍に向けて何度でも挑戦していってください。今日は、本当にありがとうございました。

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