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Ethics

2026年6月10日

ウォーノックはモラルを壊したのか―ヒト胚研究をめぐって

 「Warnock destroys morality(ウォーノック、モラルを破壊)」―これは、哲学者メアリー・ウォーノックが晩年のインタビューにて、自身に向けられた批判を振り返る中で言及した記事の見出しです。批判は、彼女が委員長を務めていた英国での「生殖補助医療とヒト胚研究」の法制化を検討する委員会の報告書(1984年)において、ヒト胚の研究利用を、厳格な規制と監視のもとで受精後14日以内に限定して認める方針を提言したことに向けられたものでした。この委員会は世界で初めて体外受精による出産が成功したことを契機として、生殖補助医療やヒト胚研究を法律で規制するための提言を示すことを目的として設置されました。委員会は、科学的な側面に加え、胚を法律の下での保護に値する特別な存在であるという前提のもと、人々の価値観や感情にも配慮しながら議論を重ねました。しかしながら、ヒト胚の研究利用を許容したことは、生命の尊厳に背くなどの理由から批判を招くとともにメディアや議会で大きな論争となり、この提言をもとに法律が成立するまでに6年を要しました。

 このような論争を巻き起こした提言でしたが、その後、英国のみならず、ヒト胚研究に関する国際的な規制の枠組みにも、いわゆる「14日ルール」として今日まで影響を与えてきました。

 ところで冒頭の見出しは、1984年12月15日付の英国紙 The Times による「Warnock: Ethics Undermined(ウォーノック:倫理を損なう)」という見出しを、メアリー・ウォーノックが少し異なる形で記憶していた可能性もあります。その場合、彼女の学者としての積年の想いが影響したと見ることもできそうです。彼女は晩年のインタビューの中で、冒頭の見出しに関して哲学者でオックスフォード大学の副学長でもあった、夫のジェフリー・ウォーノックが喜んだ(It pleased him.1)ことや、自身も気に入っていたこと(I rather treasured that.2)を述べています。ウォーノック夫妻の真意はわかりませんが、彼女が著書に記した、「これまで想定されたことのない新しい事柄に対しては、「ルール」という考え方自体が通用しなくなり、みんなが合意するような道徳が存在するという考えも成り立たなくなる3」という言葉にヒントがありそうです。もしかすると「モラルを破壊」という言葉は、論理や言語の分析に重きを置いていた当時の哲学議論のあり方を超えて(=壊して)、人々の感情や価値観の違いを考慮しながら現実世界で生じる道徳的ジレンマに向き合い、探求し続けようとした自身の姿を象徴していると受けとめたのかもしれません。

1. Highfield R. How long should we grow human embryos in the lab? Science Museum Blog. 2018.

2. Byrnes S. Moral authority. The Spectator. 2010.

3. Mary Warnock. A Question of Life. 1985. Blackwell.
原文は [We saw that the concept of a "rule" breaks down, in novel and hitherto unthought-of cases, and the notion that there is a consensus morality in such cases is equally untenable. ]

  1. この記事を書いた人:高嶋 佳代
    京都大学iPS細胞研究所(CiRA)上廣倫理研究部門 特定研究員

  1. この記事を書いた人:高嶋 佳代
    京都大学iPS細胞研究所(CiRA)上廣倫理研究部門 特定研究員
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