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Home › ニュース・イベント › CiRAシンポジウム質疑応答 2017年度

CiRAシンポジウム質疑応答
Q&A session

第9回 CiRA一般の方対象シンポジウム 第2部 Q&Aセッション

パネリスト 山中 伸弥 CiRA 所長・教授 (山中と表記)
有井 滋樹 浜松労災病院 院長(有井と表記)
金子 新 CiRA 准教授(金子と表記)
司会者 今野 弘之 浜松医科大学 学長(今野と表記)

2017年4月8日(土)に開催された、iPS細胞発表10周年・浜松労災病院50周年記念合同シンポジウム「iPS細胞の現在と未来」において、講演後に事前に寄せられた質問を中心にトークセッションを行いました。以下の文章はこの質疑応答を要約したものです。

今野

最初に、山中先生がノーベル賞を取られたことはもう皆さんご存じですが、金子先生に、山中先生はボスとして、どのような方でしょう。

金子

常に感じておりますのは、山中先生はどんなときでも、励ましてくれるときも怒られるときも必ず最後にやる気を出させてくれるんです。なぜだか分からないけど、先生の所に行って、いろいろお話を聞いて帰ると、よし頑張るぞって気になる。そういうボスです。

今野

ありがとうございます。有井先生から、ご質問をお願いいたします。

有井

日本にとって大事かなと思うのは、山中先生やグループの方々が世界に先駆けて素晴らしい成果挙げられたんですが、いろんなことをオープンにされています。したがって、誰でもがまねできる。まねするほうって非常に易しいですよね。だからいかにして世界戦略を構築して、常にこの山中先生たちがイニシアチブを取って、これからもやっていくかというのは非常なご苦労だと思うんですが、その辺のところ、この機会にぜひ、メッセージを発していただいて、今日ここにいらっしゃる浜松市民の方もぜひ応援団として、協力して差し上げたらなと思うので、ぜひ山中先生に一言お伺いしたいと思います。

山中

私は、メインは京都大学なんですが、サンフランシスコでも小さな研究室を持っておりまして、毎月1週間弱、サンフランシスコでも研究をしています。 サンフランシスコ、スタンフォード、ボストンのエリアは今、アメリカの生命科学研究の聖地であります。私は、20年くらい前にサンフランシスコで研究のトレーニングを受けたんですが、当時は日本とアメリカはそんなに変わらなかったんですね。 日本もアメリカも、研究者が小さなグループで、年間何百万円かの予算で、一生懸命実験していました。それから20年たって、今はまったく変わっています。アメリカは国の予算も多いですし、寄付もものすごいんです。ITで大もうけされてる方たちは非常に多額のお金をライフサイエンスに寄付しています。

アメリカは投資も盛んです。ベンチャーがどんどんできて、お金も人も集まる。こういうところとどう戦ったらいいのだろうと、途方に暮れるような場面もあります。僕は、日本は大企業の力が素晴らしいですから、T-CiRAのように大学の研究者が大手の企業に入り込んで、あまりベンチャーに頼らずに、直接技術開発を進めるというのが一つの日本流のやり方かなと思っています。そのためには、武田薬品との共同研究は成功させないと、後が続かなくなりますから。

相撲で言うと、横綱と小兵の平幕か十両くらいの力の差を感じてしまうんです。だからまともに行ったらそらかなうわけがない。しかし、小さい力士が宇良とか今いますよね。あんな感じで大きい人ができないようなことをやれば勝てることもありますから、そういうことを目指していかないとだめかなと思っています。

今野

ありがとうございます。それでは、臨床応用のお話を少しいただきましたけれども、臨床応用に際して不安な点を、金子先生、山中先生の順番でお話しいただければと思います。

金子

臨床応用に関して、私は細胞そのものを使う再生医療に力を入れて研究しています。iPS細胞に特有に起こりうることというのもさることながら、体の中に細胞を入れるという医療は、その細胞が体の中でしっかり効果を発揮してくれなければいけないし、変なことを起こしてもいけないっていうことで、どのぐらいしっかり働いてくれるのかっていうのを、本当にしっかり見極めて前に進んでいかなければいけないと思っております。

そして、かなり先進的・先駆的な治療だと感じておりますので、最初の時点で思ったほどの効果が出なかったときに、あっという間に皆さんに、「あら、ちょっと期待外れだ」と思われてしまわないかという不安がありますので、最初からある程度しっかりした力を出すような細胞を作っていきたいと感じております。

もう一方で、最初はある程度のところから始まって、その後どんどん知識や臨床の成果が盛り込まれて、さらに発展していく部分があると思っていますので、長い目で見守っていただきたいなと感じております。

山中

講演の中で、もともと外科医を目指していて、研究者に変わった理由の一つは、父親のような患者さんを研究で治したいということをお話ししましたが、もう一つ大きい理由があって、外科医だったときはものすごく毎日が怖かったんです。 大した手術はしてないんですけども、それでもちょっとした手術をして、次の日に行ったら返って悪くなってるんじゃないだろうかとか、縫い方が悪くて、醜い瘢痕を残してしまうんじゃないかとか、毎日びくびくしていたんです。研究をやり出すと、 それから解放されまして、なんて毎日楽なんだろうと思っていたんですけれども、それがiPS細胞ができたことによって、自分たちの作っているiPS細胞が人に用いられるということで感じる昔のような重責が一番怖いですね。プレッシャーを違う形でまた直面することになろうとは。

また、日本っていうのは結構失敗に厳しい社会でありまして、失敗が起こるととことんたたくという、それくらい潔い社会かもしれません。 これから臨床研究や治験がどんどん始まっていくと思うんですが、その段階では、必ず何か問題が起こってくると思うんです。 起こらないことなんてないと思います。そのときに、どういう対応をするか。みんなでやってることですから、研究を主導している髙橋政代さんや髙橋淳さんが批判のターゲットになってものすごくたたかれるというのは、仲間として耐えられません。 iPS細胞ストックを使った、理化学研究所による加齢黄斑変性における他家移植も、僕たちがiPS細胞を作り、髙橋政代先生が網膜の細胞に作り変えて、そして中央市民病院で移植するという、連係プレイです。 万が一何かが起こっても、責任はみんなで受け止めたらと思っています。研究は研究で大変なこともいっぱいあるんですが、臨床はやっぱり患者さんの命がかかってるというのが、ものすごい緊張しますし、怖くもあります。

今野

ありがとうございます。有井先生、今のお話のコメントなりエールなりございますか。

有井

山中先生のお話、患者さんに対して極めて誠実な、医師の原点みたいなお話ですね。われわれ外科医も、もちろんそうなんですけども、ややもすれば麻痺することもありうるので。でも翌日は患者さん見るのが怖いという、同じ感覚はいまだに持ってますけどね。とはいえ、山中先生は実はマラソンがすごいこと、ご存じですか。失礼ですけどこの年齢でもまだ記録を伸ばしてるということです。

山中

ありがとうございます。マラソンはもともと、たくさんいる研究所の職員のほとんどが有期雇用で不安定な雇用なので、それをなんとか少しでも安定させたいと、ファンドレイジングの一環で始めたのです。いまだにその意味も半分くらいあるんですが、昔からの性分で負けず嫌いと言いますか、走りだしたらついつい一生懸命やってしまうということで頑張っています。

マラソンは、ものすごく時間がかかるんです。20代のときもやってたんです。5キロとか10キロだったら今よりもあのときの方がはるかに速かったんです。ところが、必ず30キロくらいでばててしまって、最後は這うように歩いてゴールしていました。マラソンの記録は今のほうがいいんです。マラソンを走るためのペース配分の大切さや応援の大切さ、栄養補給の大切さが研究にも活きてるような気がします。医学研究って時間かかりますから。

先日、京セラの稲盛和夫名誉会長と対談させていただく機会がありました。対談の始めに、「研究はマラソンと同じだと思って、ペース配分を考えてやってます」って言ったら、稲盛さんが「僕は全然違う。僕は常に全力疾走だ」っておっしゃりました。しかし、iPS細胞研究はまだまだ時間がかかりますので、ペース配分を考えて、なんとか最後まで完走したいと思っています。

今野

ありがとうございます。将来、脊髄損傷等の患者さんに福音がもたされるかどうか、その可能性について話していただければと思いますが、山中先生、いかがでしょうか。

山中

僕もちょっとだけ整形外科医でしたし、ラグビーをやっていました。脊髄損傷は、それまで本当に元気そのもののラガーマンでも1回のケガでその後の人生がずっと車いすになってしまいます。慶応大学の岡野栄之先生や整形外科の中村雅也先生と協力して、研究を進めております。特に亜急性期の患者さんには、再生医療研究においてiPS細胞以外の幹細胞を使ったアプローチも進んでいます。まずは、ケガが起こって割と早い段階の患者さんを対象に臨床試験を始めていきたいなと考えています。 すでに、何年も前に起こった慢性期の方については、まだ時間はかかりますが、手術的に瘢痕を取り除いたり、そこに幹細胞から作った細胞を移植するという再生医療、それに薬やリハビリといった様々な治療を組み合わせることによって、なんとか機能回復を目指したいなと考えています。簡単ではないですが、本当に色々な研究者が今頑張っています。

今野

ありがとうございます。以前大隅良典先生のお話を聞いたときに、科学の教育が短期的な成果を求めすぎているのではないかという、教育の問題のお話が少しあり、昨今話題にもなっているかと思います。金子先生、山中先生、先生方のような人たちが将来輩出されるには、どのような科学、理科教育のあり方形がいいか、ご意見いただければと思います。

金子

私はそのようなことに答える立場にはないのかもしれませんが、小さい頃から「子どもには難しいかな」ではなくて、色々なことに触れてもらうのがすごくいいと思います。私は田舎の出身で、山で遊んでいましたが、そういうところから学ぶことが実は多いのかなと、思っております。

山中

研究だけでなくなんでもそうかもしれないんですが、失敗した数に比例して新しいことが生まれるチャンスが増えます。いかに失敗を認めるかが非常に今難しくなってると思います。 研究の分野でも、数年単位で評価されますので、失敗する余裕がありません。失敗を避けようとすると、結局短期間で、成功しそうな、先が見えていることしかできなくなってくる。 そうすると小さな成果はでるんですけど、殻を破るようなブレークスルーがなかなか生まれません。昔の日本の研究者は、大学を卒業したらすぐ大学で採用されて、ずっと研究できる人も今より多かった。 また、研究費も今ほどかからなかったので、国からいただいたお金で十分研究でき、割とリスクの高い研究もやりやすい環境にありました。 そのおかげで今、複数の日本人が、過去の成果でノーベル賞を受賞していると思います。 ところが最近は、国からいただける研究費はほとんどなくなってしまって、数年単位で研究者が競争し、勝てばもらえる競争的資金が主となっています。 ただ、競争的資金は数年しか続かないので、リスクの高い研究をするのが難しくなっています。そこをなんとか変えていかないとというのは思っています。

今野

ありがとうございました。有井先生、最後にコメントございますか。

有井

今日は山中先生、金子先生、そしてiPS細胞研究所のスタッフの方、本当にありがとうございます。そして、ご司会の今野先生ありがとうございました。また浜松市民の方、あるいは医療関係者の方、たくさん来ていただいて本当に感謝に堪えません。どうも、本当にありがとうございました。

今野

ありがとうございました。

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