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2026年6月24日
胎児組織研究の適切な実施に向けて ―日本における同意取得と研究ガバナンスの課題―
京都大学iPS細胞研究所(CiRA)および高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)の藤田みさお教授、斎藤通紀教授、CiRAの髙島康弘教授らの研究グループは、日本におけるヒト胎児組織研究をめぐる倫理的・法的・社会的課題を分析し、国際幹細胞学会(ISSCR)が公表した胎児組織提供に関するインフォームド・コンセント基準を日本で運用する際に考慮すべき課題と対応策を明らかにしました。
ヒト胎児組織研究は、ヒト発生の理解や再生医療研究などに重要な役割を果たしています。一方で、人工妊娠中絶後の胎児組織を利用するため、高い倫理的配慮が求められます。ISSCRは2022年に、胎児組織の提供者からインフォームド・コンセントを取得する際の基準を公表しましたが、日本にはそもそも胎児組織研究を規定する法制度や指針が存在しません。
本研究では、国内外の法制度や社会的背景を検討した結果、日本でISSCRの基準に沿って胎児組織研究を進める際の課題として、①提供者への負担の最小化、②男性パートナーの同意の扱い、③胎児組織の保管・利用・処理に関する法制度上の課題、の三点を明らかにし、それぞれに対する対応策を提案しました。
本成果は、2026年6月11日に学術誌「Regenerative Medicine」にオンライン掲載されました。
ヒト胎児組織研究は、ヒト発生の理解、先天性疾患の研究、再生医療研究、新規ワクチン開発などに貢献してきました。一方で、人工妊娠中絶後の胎児組織を利用するため、提供者への説明や同意取得、研究の透明性確保などについて高い倫理的配慮が求められます。
ISSCRは2022年に胎児組織提供に関するインフォームド・コンセント基準を公表し、胎児組織の提供者から同意を得る際に説明すべき内容をまとめました。しかし、このような国際学会による基準は各国の法律や制度を直接規定するものではありません。また、日本にはそもそも胎児組織研究を直接規定する法制度や指針が存在しません。そのため、こうした基準を国内で運用するためには、日本固有の法制度や社会的背景を踏まえた検討が必要となります。
本研究では、日本および欧米諸国の胎児組織研究に関する法制度やガイドラインを調査するとともに、日本の法制度、行政文書、学会見解、歴史的経緯などを分析しました。その結果、日本において胎児組織研究を実施するにあたっては、ISSCRの基準だけでは対応できない三つの課題に対応する必要があることが明らかになりました。
第一に、胎児組織の提供者となる可能性がある人工妊娠中絶を受ける女性への負担です。日本では中絶費用が自己負担であることや、出産・不妊治療と同じ医療機関で中絶が行われることが多いなど、中絶を受ける女性を取り巻く環境に特有の課題があります。そのため、胎児組織提供を依頼する際には、研究への協力が新たな負担や圧力とならないよう、十分な配慮が必要であることを指摘しました。
第二に、男性パートナーの同意の扱いです。ISSCRの基準では主として女性本人による意思決定が想定されていますが、日本の母体保護法では一定の場合に配偶者等の同意が求められるため、胎児組織提供の意思決定に男性パートナーをどのように位置付けるべきかが課題となります。特に、胎児由来の遺伝情報を扱う研究では、男性パートナーの個人情報保護との関係も考慮する必要があります。
第三に、胎児組織の保管・利用・廃棄に関する法的位置づけの不明確さです。日本では妊娠12週未満の胎児の法的扱いが必ずしも明確ではなく、地域によって胎児や胎盤等の取扱いを定める「胞衣(えな)条例」注1)の内容も異なります。そのため、胎児組織の研究利用や研究終了後の取扱いについて、研究機関や倫理審査委員会が地域ごとの規制を確認する必要があることを指摘しました。
本研究は、ISSCRが示したインフォームド・コンセント基準が日本においても有用な指針となりうる一方で、その実施には国内の法制度や社会的背景を踏まえた検討が不可欠であることを示しました。また、日本で明らかになった課題の中には他国に共通するものもあり、今後、胎児組織研究に関する制度整備を進める国々にとっても参考となる知見を提供しています。
日本には、ヒト胎児組織研究を明確に禁止あるいは容認する法制度や指針が存在しないことから、まずは小規模な基礎研究の実績を積み重ねながら、研究体制や倫理的ガバナンスを段階的に構築していくことが現実的なアプローチと言えます。ヒト胎児組織研究の適切な実施は、責任ある基礎研究の推進だけでなく、将来的な再生医療や細胞治療の発展にも寄与すると考えられます。今後は、国際的に共有される基準と各国の法制度や社会的背景との調和を図りながら、持続可能で信頼性の高い研究基盤を構築していくことが重要です。
ヒト胎児組織研究は、提供者への深い配慮と敬意の上に成り立つ研究です。そのため、どのような条件のもとで研究を行うべきかを丁寧に議論することが重要と考えています。日本では2000年代半ばに胎児組織研究に関する制度整備の議論が行われましたが、その後は大きな進展がありませんでした。本研究が日本における胎児組織研究のあり方や、それを支える制度や倫理的枠組みについて改めて考える契機となれば幸いです。
- 論文名
Ethical, Legal, and Social Issues Associated with Human Fetal Tissue Research in Japan - ジャーナル名
Regenerative Medicine - 著者
Misao Fujita1,2,*, Kyoko Akatsuka1, Akane Hashimoto3, Mari Honda4, Tsunakuni Ikka5, Minori Kokado6, Yoshichika Mori7, Masanori Oikawa8, Go Okui9, Mitinori Saitou1,2,3, Yasuhiro Takashima1
*:責任著者 - 著者の所属機関
- 京都大学iPS細胞研究所(CiRA)
- 京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)
- 京都大学大学院 医学研究科
- 芝浦工業大学 工学部
- 国立がん研究センター
- 大阪大学大学院 人文学研究科
- 阪南大学 経営学部
- 東北大学大学院 医学系研究科
- 神戸大学大学院 人文学研究科
本研究は、下記機関より支援を受けて実施されました。
- 公益財団法人セコム科学技術振興財団 特定領域研究助成
- 日本医療研究開発機構(AMED)革新的先端研究開発支援事業 早期ライフ(JP21gm131001)
- 日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(C)(21K10326)
- 京都大学ヒト生物学高等研究拠点(ASHBi)フラッグシッププロジェクト
- 公益財団法人上廣倫理財団
注1)胞衣(えな)条例
胞衣(えな)とは胎盤やへその緒、卵膜などを指す言葉です。日本では古くから胞衣を大切に扱う慣習があり、その影響を受けて一部の自治体では胞衣の取扱いに関するいわゆる「胞衣条例」が定められています。
