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2026年2月10日
iPS細胞由来免疫細胞療法で世界に挑む
金子 新 教授
シノビ・セラピューティクス株式会社 取締役(※)・
科学顧問
なぜベンチャーを立ち上げたのですか?
2013年ごろ、iPS細胞から作製したT細胞注1)を用いて、がんの免疫細胞療法の研究開発を進めるために、大型グラントに何度か応募したのですがことごとく採択されず、製薬企業からの共同研究の声もかからず、研究開発や実用化に必要な資金が集まらない現実に直面しました。「このままでは臨床応用にたどり着けない。だったら自分たちで、臨床に向けたパイプラインをつくるしかない」と考え、ベンチャーを立ち上げることを決意しました。
ベンチャーを立ち上げて最初に直面した課題は何だったのでしょうか?
同じくT細胞研究を進めていた研究者と共同で、2013年にベンチャーを立ち上げたのが最初の一歩でした。ベンチャーキャピタル(VC)の方から、資金面や運営面についてアドバイスをいただき、これで何とか研究資金が確保できそうだと非常に嬉しく思ったのを覚えています。
ただ、アカデミアとの共同研究のみで臨床応用を意識したパイプライン作りを模索したのですが、「研究場所も実働部隊もアカデミアだけ」という体制では、製薬企業と同じレベルの開発プロセスを作るのは難しいと痛感しました。責任の所在と推進の主体が不明瞭だと非常に感じましたし、私も含めアカデミアの人間は事業化の勘所っていうのが分からない。
一方、研究は徐々に軌道に乗ってきていました。これまでは患者さん自身の細胞からiPS細胞由来のT細胞を用いてがんを攻撃する治療法「自家iPS由来T細胞移植療法」を研究していたのですが、免疫拒絶の起きにくい細胞の型をもつ健康なドナーからiPS細胞をつくり、そこにがん特異的センサーをつけてT細胞をつくることで多くの患者さんが治療できる「同種iPS由来T細胞移植療法」というのを論文で発表することができました。そうすると、グラントに採択され始め、企業から共同研究の誘いが増えてきました。
課題を乗り越えるために、どのような体制づくりを行ったのでしょうか?
紆余曲折を経て、2015年に新たにサイアス株式会社を立ち上げました。サイアス株式会社では、「自家iPS由来T細胞移植療法」を進める方針になりました。でもそれは個別化医療になりますので、個別化医療はどうしても時間もコストもかかり、治療効果にもばらつきが出る可能性があります。そのため、このままでは十分な資金が集まらないかもしれないと感じていましたし、やはりアカデミアだけの体制では難しいと思っていました。
転機となったのが京都大学イノベーションキャピタル株式会社(京都iCAP)との出会いでした。京都iCAPがリードVCとして出資してくださったり、新しいCEOの人選などを進めてくださったりしたことで、会社としての体制が確立されてきました。また、同じ時期にT-CiRA(CiRAとタケダが2016年度から開始した10年間の共同研究プログラム)から共同研究の声がかかったので、そこで「同種iPS由来T細胞移植療法」をすることにもなりました。
そこから、なぜ米国サンフランシスコにベンチャーの拠点を置くことになったのでしょうか?
よい研究データも出てきたので、サイアスで非臨床試験に進むタイミングだったのですが、今度は非臨床試験に進むための資金が足りなくなりました。そこでまた転機がやってきまして、米国のベンチャーキャピタルに「米国でやる覚悟があるなら、前向きに出資を検討したい」という声がかかりました。免疫制御技術を持つ米国のバイオベンチャーと合併することになり、Thyas Inc.として米国籍企業にしました。そこで、信頼できる新しいCEOを迎え、社名もシノビ・セラピューティクス株式会社(Shinobi Therapeutics Inc.)へと改め、サンフランシスコと日本に拠点を置くことで、世界市場を見据えた本格的な免疫細胞治療ベンチャーとしての体制を整えました。
シノビ・セラピューティクスでどのような技術を社会実装しようとしているのでしょうか?
アメリカでベンチャー企業を経営するということは、ニッチのところを狙うというよりは、大手製薬企業と同レベルの戦略を立てなくてはいけないだろうと考えました。たくさん人に使える製品を作る、つまり、「同種iPS由来T細胞移植療法」でやっていかなければならないと。
これまでの「同種iPS由来T細胞移植療法」のコンセプトで行くと、iPS細胞ストック注2)を使うため、日本人の40%はカバーする細胞はできます。逆に日本人の60%をカバーしないということは、世界人口ではカバーできるのは非常に低い。アメリカ進出するためにはそれでは不十分です。そこで、免疫拒絶が回避できるよう遺伝子の機能をゲノム編集でなくし、あらゆる患者さんに使えるiPS細胞由来のT細胞を作製しました。その細胞は、患者さんの体内で拒絶反応が起きにくく、がんを抑える効果が高いことが動物実験で確認されています。シノビ・セラピューティクスでは、このような技術を使って、あらかじめ細胞製品を製造・在庫化しておき、必要なときに迅速に投与できるようにすることを目指しています。T-CiRAでの共同研究も「同種iPS由来T細胞移植療法」の研究を進めていましたが、シノビ・セラピューティクスでの研究開発とT-CiRAでの研究開発を、きちんとすみ分けることができました。
シノビ・セラピューティクス主導の臨床試験はアメリカではなく日本で行う予定です。アメリカにも拠点を置くようになりましたが、やはりこれまで日本で大きな支援を受けてきたからこそ今があります。アメリカで臨床試験をして、治療が日本に入ってこないっていうのが最も困りますので、臨床試験は日本で行います。
シノビ・セラピューティクス株式会社の培養室(京都市)
ベンチャーでの役割について教えてください。
サイアスのときは、京都iCAPから、私は創設者だけじゃなくて社外取締役にもなったほうがよいとアドバイスをいただきまして、その役目を務めていました。会社の見え方として、科学者である私が取締役になっていることが大事だそうです。シノビ・セラピューティクスでも、取締役であり科学顧問ということで、科学的なアドバイスをしています。経営のことは経営チームに任せています。私のベンチャーの仕事量としては、京都大学が定めた兼業規程に則って(※)、それを遵守してやっています。週に数時間程度でしょうか。
研究とベンチャー業務の両立・難しさ・やりがいを教えてください。
研究、トランスレーショナル・リサーチ(橋渡し研究)、そして社会実装へと進むプロセスは、共同研究であっても、ベンチャーであっても、本質的には同じだと考えています。ただし、製薬企業と共同研究を進める場合には、ある段階以降は企業側が豊富な経験と出口戦略をもとに開発を進めてくれます。一方、ベンチャーの場合は、同じ道筋をたどりながらも、途中でさまざまな要因によってつまずく可能性があり、その行方を少しハラハラしながら見守る立場になります。
あるベンチャーキャピタルの方からいただいた助言は、「大学発スタートアップ成功の秘訣は創業の先生方がどこまで子離れできるかにかかってる」ということでした。つまり、ベンチャー企業は独立性のある健全な経営判断が必要ということです。ですので、経営は経営陣に任せ、私は取締役として必要な場面で意見を述べることにとどめています。そのため、研究とベンチャー業務の両立そのものが難しいと感じることはありませんが、ただ、見守る立場ならではの緊張感はあります。もちろん、研究者とベンチャーとの関わり方はそれぞれで、創業者として現場に深く入り、二人三脚でベンチャーを進める研究者もいらっしゃいます。それも一つの正解だと思います。
大きなやりがいは、やはり自分たちの研究成果が社会実装へとつながっていく過程を実感できる点にあります。基礎研究として積み上げてきた我々の研究成果が、社会へと届けられていく姿を見られることこそが、研究とベンチャーを両立する最大のやりがいだと感じています。
日本とアメリカ、2つの拠点を持つことで得られている強みは何でしょうか?
アメリカ人のスタッフと一緒に仕事をしていると、やはりアメリカは実戦経験豊富な人が多いので、だいぶ勉強になります。経験豊かな経営陣、そして世界的に有名な研究者もサイエンスアドバイザリーボードに入ってくださりと、すごく充実しています。
もともと合併した米国ベンチャーが、免疫原性を低減するためのゲノム編集技術を強みとしていたこともありゲノム編集はサンフランシスコで行い、日本では細胞製造や分化誘導といったプロセスの開発を行うという役割分担ができています。日本のものづくりの強みは世界トップレベルだと感じています。
もし京都の拠点をなくして、サンフランシスコに一本化するということになれば、移動にも時間がかかりますし、時差もありますし、正直困ってしまいます。それに、日本は物価の面で、研究コストを抑えられるという利点があります。
今後の展望をおしえてください。
シノビ・セラピューティクスにおいては、肝がん、大腸がん肝転移、肺がんを適応とする固形腫瘍に対する「同種iPS由来T細胞移植療法」の開発を進めており、2026年度から日本で臨床試験を開始する予定です。もう一つは、iPS細胞からNK細胞注3)をつくって、自己免疫疾患を抑える研究開発も行っており、こちらも日本で2026年度には臨床試験を始める予定です。
しかしながら、オリジナリティのある「自家iPS由来T細胞移植療法」も捨てがたいと思っています。パナソニック ホールディングス株式会社、シノビ・セラピューティクス、公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団、CiRAとで協力して、疲弊して働けなくなったがん患者さんのT細胞をiPS細胞を経由して若返らせることで、患者さんごとにオーダーメイドのがん治療用細胞を作る戦略です。My T-Serverという、患者さんの血液から作ったT細胞を使用して、がん治療に使用できる再生T細胞製剤の製造工程を、簡単な操作で実行できる小型自動培養装置の作成を進めているところです。
(※)「国立大学法人京都大学に勤務する教職員の兼業に関する指針」により、教員は大学の審査を受けた上で、自らの研究成果を活用した企業の取締役等の役員を兼ねることができる。ただし、兼業に従事する時間が、1週間あたり8時間以内と定められている。
注1)T細胞
免疫を司る白血球の一種で、体内の異物(ウイルス・細菌・がん細胞など)を見つけて攻撃したり、免疫反応全体を調整したりする。
注2)iPS細胞ストック
公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団が細胞調製施設(FiT)にて、ドナーの方々からご提供いただいた血液等の体細胞をもとにiPS細胞を製造し、各種試験を済ませた後、臨床用として使うことができるiPS細胞。現在、日本人の約40%をカバーするiPS細胞ストックを製造し、国内外の研究機関や企業へ提供を行っている。
注3)NK細胞
免疫においてはたらく細胞の一種。NK細胞は抗原特異的な免疫反応を示さず、非特異的に細胞を傷害するといった免疫反応(自然免疫)をする。
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取材・執筆した人:三宅 陽子
京都大学iPS細胞研究所(CiRA) 国際広報室 サイエンスコミュニケーター
