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2017年8月23日
ヒトES/iPS細胞由来の膵前駆細胞を特異的に増殖促進する低分子化合物を同定
ポイント
- ヒトES細胞やヒトiPS細胞から分化させた膵前駆細胞注1の増殖を促進する低分子化合物としてAT7867を同定した。
- AT7867は、ES細胞やiPS細胞が分化する過程において、膵前駆細胞の増殖を促進し、それ以外の細胞にははたらかないことを見出した。
- 増殖させた膵前駆細胞は、インスリン注2を産生する膵β細胞様細胞注3へ分化することができた。
- 今回同定した化合物AT7867を用いた細胞増殖法を開発することにより、ヒトES細胞やヒトiPS細胞から作製した膵細胞を効率よく低コストで大量に供給することが期待される。
再生医療を応用した糖尿病の治療法の一つとして、ES細胞やiPS細胞などのヒト多能性幹細胞から作製される膵細胞の移植が考えられています。しかし、患者さんに移植する膵細胞を大量に作製するにはコストが高くなることが懸念されていることから、膵細胞を安定して大量に供給する方法の開発が期待されています。
木村東大学院生(京都大学CiRA増殖分化機構研究部門、日本学術振興会特別研究員)、豊田太郎講師および長船健二教授(京都大学CiRA同部門)らの研究グループは、ヒト多能性幹細胞(ES細胞およびiPS細胞)から分化させた膵前駆細胞を用いて、同細胞の増殖に対する低分子化合物の効果を網羅的に調査し、同細胞の増殖を促進する化合物としてAT7867を同定しました。
AT7867を与えた膵前駆細胞は、AT7867を与えていない細胞に比べて、増殖している細胞の指標であるKi67陽性細胞率を高い値で維持させていました。また、AT7867処理による細胞増殖促進効果は、未分化iPS細胞から膵前駆細胞を分化させる過程で生じる内胚葉細胞や原始腸管細胞には作用せず、膵前駆細胞にのみ有効でした。さらに、AT7867処理によって増殖させた膵前駆細胞は膵β細胞様細胞へと分化可能であったことから、膵前駆細胞としてのはたらきを保持していると考えられました。これらの結果から、AT7867は膵前駆細胞としてのはたらきを維持したまま細胞の増殖を促進する因子であることが示唆されました。
本化合物による膵前駆細胞の増殖は、ヒト多能性幹細胞由来の膵細胞を効率よく安定して大量供給する方法の開発につながり、糖尿病に対する再生医療の実現に貢献すると期待されます。
この研究成果は、2017年8月17日(英国時間)に英国科学誌「Stem Cell Research」にオンライン公開されました。
膵β細胞の補充療法は糖尿病根治のための方法の一つですが、移植用膵・膵島不足が問題となっています。このため安定した膵細胞の供給源としてヒト多能性幹細胞(ES細胞およびiPS細胞)からの膵細胞・組織の作製研究が進められており、数多くの報告からヒトES/iPS細胞から膵β細胞様細胞をはじめとした膵細胞を作製できることが示されています。
しかし、膵β細胞までの分化機構は完全には解明されていないことなどから、これまでの分化誘導方法には安定性や作製効率に問題があり、大量の膵細胞の安定供給法に向けて多くの改良が必要とされています。
膵前駆細胞は発生過程において膵β細胞を含む膵臓を構成する全細胞種へ分化することが知られています。そこで、本研究グループは、現在までに安定した分化誘導法が確立されている膵前駆細胞に着目し、iPS細胞から分化させた膵前駆細胞の増殖を促進させる化合物を探索し、その化合物を用いた細胞供給法の開発を目指しました。
1) 膵前駆細胞の増殖を促進する化合物の同定
ヒトiPS細胞由来膵前駆細胞を用いて、1,327種類の低分子化合物を網羅的に調べたところ、膵前駆細胞の数を増加させる効果が最も強い化合物として、AT7867を同定しました(図1A)。AT7867処理した細胞群では、細胞増殖の指標であるKi67陽性細胞の比率が長く高い値で維持されていました(図1B)。また、AT7867は、複数種類のヒトiPS細胞株やヒトES細胞株から分化した膵前駆細胞においても増殖を促進させました。

図1 各低分子化合物の膵前駆細胞の数に対する効果およびAT7867処理した細胞の染色像
A. 1,327種の化合物について調査した結果。
縦軸は化合物を含まない溶媒処理(DMSO処理)した対照群に対する細胞数の比率を示す。
B. AT7867処理から4日目の免疫染色像。
緑:膵前駆細胞、赤:増殖期にある細胞、青:核
スケールバー:100 µm
2) AT7867の増殖促進効果は膵前駆細胞に特異的である
AT7867は膵細胞だけでなく他の様々な細胞種の増殖を促進する可能性も考えられます。そこで、未分化iPS細胞から膵前駆細胞段階までの分化過程における途中段階の細胞種(内胚葉細胞、原始腸管細胞)に対する効果を検証しました。その結果、増殖促進の効果は内胚葉細胞や原始腸管細胞においては示されませんでした(図2)。また、ヒトiPS細胞から分化させた中胚葉由来の血管内皮細胞に対しても増殖促進効果は認められませんでした。このため、AT7867の増殖促進の効果は膵前駆細胞に特異的であると考えられました。

図2 各分化誘導段階期細胞に対するAT7867の効果
各細胞種に対してDMSO(白)、もしくはAT7867(黒)で処理し、それぞれの細胞に特徴的な指標となるマーカー遺伝子(内胚葉細胞はSOX17遺伝子、原始腸管細胞はHNF4α遺伝子、膵前駆細胞はPDX1遺伝子)を発現する細胞数を計測した。
3) 増殖した膵前駆細胞は発生学的機能を維持する
AT7867処理によって増殖させた膵前駆細胞を、すでに知られている膵内分泌細胞誘導因子で刺激すると、増殖前の膵前駆細胞に加え増殖後の細胞からも、インスリンを産生していることを示すC-ペプチドをもつ膵β細胞様細胞が検出されました(図3)。つまり、化合物処理によって増殖させた細胞においても、その後の膵内分泌細胞へ分化する能力があると考えられました。

図3 AT7867による増殖前と増殖後の細胞の膵内分泌細胞への分化能の検証
AT7867処理前と処理後の膵前駆細胞それぞれに12日間の膵内分泌誘導因子処理を行い、免疫染色(上段)とフローサイトメトリーによる定量(下段)を行った。
緑:インスリン産生の指標となるC-ペプチド、赤:グルカゴン注4、青:膵前駆細胞の指標で膵β細胞でも発現している遺伝子PDX1
スケールバー:100 µm
図中の数字はPDX1とC-ペプチド両陽性細胞の全細胞における割合(%)を示す。
本研究では、ヒトES細胞やヒトiPS細胞から分化誘導した膵前駆細胞の増殖を促進する低分子化合物AT7867を同定しました。 膵臓の発生については分かっていないことが未だ多く、本化合物の作用をさらに詳しく調べることで、膵臓の発生過程における増殖と分化機構の解明が進むと考えられます。 また、本研究は化合物を用いた膵細胞を安定して大量に供給する方法の開発にもつながり、糖尿病に対する再生医療開発の実現に貢献できると期待されます。
- 論文名
"Small molecule AT7867 proliferates PDX1-expressing pancreatic progenitor cells derived from human pluripotent stem cells" - ジャーナル名
Stem Cell Research - 著者
Azuma Kimura1, Taro Toyoda1, Yohei Nishi2, Makoto Nasu1, Akira Ohta2 and Kenji Osafune1 - 著者の所属機関
- 京都大学iPS細胞研究所(CiRA)増殖分化機構研究部門
- 京都大学iPS細胞研究所(CiRA)創薬技術開発室
本研究は、下記機関より資金的支援を受けて実施されました。
- AMED 再生医療実現拠点ネットワークプログラム「iPS細胞研究中核拠点」
- 日本学術振興会 (JSPS)・文部科学省 科学研究費補助金 基盤研究 (C)
- 日本学術振興会 (JSPS)・文部科学省 科学研究費補助金 特別研究員奨励費
- 武田科学振興財団
- 鈴木謙三記念医科学応用研究財団
- ライフサイエンス振興財団
- 三井生命厚生財団
- 日本糖尿病財団
注1)膵前駆細胞
受精卵が分裂・成長してさまざまな細胞に変化していくときに生じる、膵臓のもとになる細胞。
注2)インスリン
血糖値を下げるはたらきをもつホルモン。
注3)膵β細胞
膵臓ランゲルハンス島に存在する、血糖値レベルに応じてインスリンを血中に分泌する細胞。膵α細胞と共に血糖値調節を担う細胞である。1型糖尿病患者ではこの膵β細胞が何らかの原因により破壊されているため、血中のインスリンが不足している。
注4)グルカゴン
血糖値を上げるはたらきをもつホルモン。膵臓のランゲルハンス島α細胞から分泌される。