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2024年6月27日
科学を身近に感じるアートをつくる ~制作秘話と作品に込めた想い~(後編)

作品「曖昧で確かなもの」
作品について伺いたいのですが、絵の構成要素(パーツ)にはどんな意味があるのでしょうか?
実は、パーツの意味についてはtupera tuperaさんから詳しく聞いていません。細胞に関する様々な要素を入れてほしいというのはお願いしていましたし、私が送ったたくさんの資料の中からも拾ってくれたんだなっていうのは分かりました。
こちらから入れてほしいとお願いしたパーツと言えば、脂質膜の「膜」を想起するようなシャボン玉と、物質の出し入れが可能であることを伝えるためのいろんな扉などです。特に、真ん中の顔の表情には、すごくこだわったんですよ。決まった見方を提示しないためには、笑っていたり、悲しんでいたり、怒っていたり、びっくりしていたりといったような、はっきりとした表情になってはいけない。なんか能面みたいだなと思うんですけど。見る人や見るタイミングによって、表情がいろいろと違って見えたらいいなと思って。
それに、一個一個のパーツが厳密にどういう意味かというのはそこまで大事じゃないように思うんです。細胞自体について伝えたいわけじゃなくて、細胞について身近に感じてもらうことの方が重要だからです。例えば、科学者がシャボン玉の部分を見たら脂質膜のことかなとか気づくと思うのですが、ちっちゃい子が見たときには、「きれいなシャモン玉だな」、「楽しそうだな」と感じてくれるだけでもよくて。もっと言えば、「なんかこの絵が気になる」だけでもよいんです。それが許される作品なんです。作者や私たちには、もちろん一つ一つのパーツにある程度想定したイメージや意味はありますが、それをあえて見ている人に説明する必要はないし、むしろ分かってしまわない方がいい。見る人の解釈でOKということです。tupera tuperaさんも、新しい見方や考え方を聞きたいっておっしゃっています。私たちにとっては、それでいいんですよ。
ただ、コンセプトを練る段階で、絵に取り入れる科学的知見に間違いがないようにすることや、社会的に偏った内容を提示する表現を避けることには、可能な限り気をつけました。メッセージの中立性が表現されるように、すごく意識しました。
疑問符「?」が描かれているのが何か面白いですよね。未知なる細胞みたいなのを表現しているんですか?
この作品の中でとても好きな部分です。あくまで見方は自由なのですが、私には「細胞や命について、私たちにまだまだ分からないことがいっぱいあるんだな」とか、「自分自身は科学にどうあってほしいのだろうか」といった問いが浮かんできます。
これは、皆さんにも是非考えてもらいたいと思っている部分ですが、真ん中のキャラクターの手の中にあるものの色と、キャラクターが立っている丸い部屋のような部分の地面の色が一緒なんです。これに気がつくと、どんな意味があるのか、気になりますよね?
この作品はCiRA第1研究棟1階の展示コーナーに展示されていて、コメントを募集しているので、よかったら思いついたことや考えたことを教えていただきたいなと思います。

インタビューに答える笠間さん
tupera tuperaさんが作成した原画が出来て、作品が完成したのですね。
いえいえ、それが違うんですよ。原画が完成じゃないんです。tupera tupera さんは貼り絵の手法で原画を制作されるのですが、それをスキャンし、デザイナーさんが色味などを整え、印刷してようやく完成なんです。
今回は、印刷の工程で特殊な印刷技術を使っています。スキャンや編集の後、サンエムカラー株式会社さんの「カサネグラフィカ(KASANE GRAFICA)」というUVプリント技法を使っています。これまでは平面での印刷しかできなかったのですが、インクを何層も重ねることで原画のように凹凸などを立体的に表現できるんです。
どうやってこの印刷技術を見つけたのでしょうか?
三成先生がこの印刷技術に出会っちゃったんです(笑)。三成先生が「笠間さん、こんな素敵な印刷物をつくってるところがあるよ。特殊印刷しようよ」っておっしゃって。さっそく次の日には印刷屋さんの工場見学のお願いをしていました。三成先生はアートにすごく造詣のある方なので、以前より原画が印刷物になったときに、原画の質が十分に反映されないことをすごく気にしていらっしゃって。特に、tupera tuperaさんの作品は立体感のある貼り絵の手法で制作されているので、なんとかその奥行きや、ツルツル・ザラザラといった紙の質感まで伝える手法はないのかと考えていらっしゃったようです。それを伝える技術があることを見つけた時はとてもうれしかったです。
完成した作品については、それ自体が原画だと思われる方がほとんどです。作品が印刷物であることを伝えると、とても驚かれます。それに、作品と原画との大きさが違うんです。原画の寸法は印刷された作品より一回りほども小さいんですよ。
作品が完成して、どう思いましたか?
この作品に関わってつくづく、なぜこういう作品が世の中に少ないのかが分かったように感じました。本当に労力がかかりましたらから。企画する私たちがいて、表現するアーティスト、表現に間違っていることがないか確認する研究者、最終的な形に仕上げるデザイナーや印刷会社、全体について助言してくださるアドバイザーなど、多くの方にご協力いただいて、予算内、期間内に仕上げるのは本当に大変なことでした。
あと、海外の科学技術に関するアートを見ても、何かの警告だったり、表現が少し怖かったりとびっくりするような作品が多いんですね。でも、私たちの作品は、中立っていうのを重視していて、「みんなで考えていきましょう」ということをメッセージにしています。そういう作品はとても少ないんですね。もともと三成先生とも、「もっと優しい科学技術についての作品があってもいいよね」って言っていたんです。私も「確かにな」と思って企画に取り掛かっていったのですが、中立で、みんなで考えていける作品をつくるのはすごく難しくて。専門家の先生たちにいろんな視点から見ていただきました。
三成先生には、この作品が時間を超えて残ってほしいっていう想いがあります。ピカソの「ゲルニカ」やレオ・レオニの「スイミー」などの優れた芸術作品が時間や場所を超え、多くの人に考える場を提供してきましたが、生命科学の分野においても優れたアート作品が生まれてほしいなと。今回の企画で、そうしたアートが持つ可能性を探っていらっしゃるんだと思います。
一度、この作品を使ってワークショップを開催されたと伺いました。どのような反響でしたか?
ワークショップにはアートやデザインに興味がある方が多く来てくださいました。三成先生が「まずはデザインに造詣が深い方に見てもらおう」とおっしゃって。科学者がこの絵から見えるものって多少は想像できるんですけど、科学にあんまり馴染みがなく、アートやデザインに詳しい方が何を思うのかが知りたいとのことでした。あとは研究者や作品制作に関わってくださった方も来てくださいました。
はじめてのお披露目だったので緊張しましたが、みなさん興味深く見てくださって、いろんな意見をいただきました。面白かったのが、この部分はこんなふうに見えたよ、これはこんな意味に感じた、といった感想の中に私たちが全く想定していなかったものが多くあったことです。「こんな見方があるのか」と本当に驚きました。
今回の作品制作については、「絵というツールを使って考えるっていうのがいいよね」って言ってもらえたのがすごくうれしかったですね。あとは、「アートと科学をつなげるっていうのは面白かったです。大人も子どもも考えるツールになると思います」や「周りの方の意見も聞けて感じるものがありました」という意見も、私たちが狙っていたことなので、うれしかったです。みんなで共有することで生まれる気づきを実際に感じてもらえてよかったなと。「海外では科学を身近に感じるような絵がいっぱいあるのに日本はないっていうのはすごく課題だと思っていた」「今回tupera tuperaさんという有名な方が、科学をテーマに作品をつくられたことはすごく意味がある」と言ってくださった方もいました。
でも、絵を見ながらみんなで意見を出し合って考えを深められるように促すのは難しかったです。自分の思ったことを発言して意見交換するっていうのは、ある程度訓練がいると思うんです。そういうトレーニングを受ける機会は日本では少ないですよね。でも逆に、今後の課題も見つかったので、挑戦した意味は大いにあったように思いました。またどういうふうにコーディネートしたらいろんな意見が出るのかとかなどを考えさせられる機会になりました。こういう場が日本にもっとあったらいいなと思います。科学というテーマだけでなく、もっといろんなテーマで、学校などで自由に発言して、情報交換して、社会の問題を自分ごととして考えられる。そういう場や試みが必要だと思います。
最後に、これから皆さんにどのように鑑賞してほしいですか?
自由に見てもらえたらうれしいです。私はこの作品が枯山水みたいに捉えられたらいいなと思っています。枯山水って、木や水を使わず、砂や石だけで山や水を表現していますよね。「この石は、山を表現してるだけでなく極楽を意味してるのかな」とかそういうのが浮かんでくるよさがあるんです。実物の山を見ても、他のことはあまり浮かんでこないじゃないですか。あえて石で表現することから見えてくるメッセージとか、感じるものってあると思うんです。ですので、この作品も、細胞そのものをみるのではなく、アートを通してみることで、感じてもらえるものがあると思っています。「なんか綺麗だな」だけでもいいし、「日によって見え方が変わるな」でもいいし、ぼんやり見ながらいろいろ思ってもらえたらいいなと個人的には思っています。そして何よりも、アートや細胞に馴染みを持ってほしいです。
あとは、この作品に触れてくれる方が増えて、細胞についてたくさん考えてくれたらよいなと思います。この絵がポンとあるだけでは何かもったいないので、この絵をつかったワークショップなどをして、みんなと考えや感想を共有していけたらと思います。ワークショップのほかに、何をしていったらいいのかということにも、とても関心があります。アートを使って社会での対話をどのように生み出していくかは、これからの課題ですね。
※作品への感想については、作品詳細の「4. 本作品を観た皆様からのコメント」を参照。
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取材・執筆した人:三宅 陽子
京都大学iPS細胞研究所(CiRA) 国際広報室 サイエンスコミュニケーター