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2023年9月8日

「ゲノム編集iPS細胞ストック」って何?

 2023年6月14日、公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団(iPS財団)から「臨床用HLAゲノム編集iPS細胞ストック」の提供が始まりました。そこで今回は、「HLAゲノム編集iPS細胞ストック」とは何か、提供が始まるとどのようなことができるのかについて説明していきます。

そもそもiPS細胞とは?

 iPS細胞とは、どのような細胞なのでしょう。私たちの体は、もとは1つの細胞から成り立っています。1つから2つ、2つから4つへと細胞が分裂を繰り返し、ある部分は皮膚になったり、別の部分は骨になったりして体がつくられていきます。一度役割が決まった皮膚などの細胞は、骨や血液といった他の細胞にはなれません。もし、役割が分かれる前の状態に戻せるのなら、体の一部から別の部位をつくりだせる可能性が出てきます。

 iPS細胞は、役割が決まった皮膚や血液などの細胞に操作を加え、役割に分かれる前の状態にすることに成功した細胞です。現在、病気やけがで失われた組織や臓器の細胞をiPS細胞からつくる研究が進められています。

iPS細胞をストックするメリット

 iPS細胞をストックしておくメリットは、コストと時間を抑えられることです。ある人の体細胞から本人だけが移植に使う目的でiPS細胞をつくる方法もありますが、1人の細胞から複数人の移植に使えるようなiPS細胞をつくれば、コストを削減できます。さらに、必要な時まで保管しておくことで、迅速な提供が可能になるのです。

 iPS財団が運営するiPS細胞ストックプロジェクトでは、iPS細胞をあらかじめ大量につくり、臨床でも使える品質の良いものを選んで保管しています。2013 年からCiRAで始まったこのプロジェクト。2020年にiPS財団が運営を引き継ぎ(CiRAニュース2020年4月1日)、研究開発の情報を共有したり、コストを抑えた質の高いiPS細胞を提供したりしています。

実は簡単じゃないiPS細胞の移植

 実は、他の人の細胞を自分の体に移植するのは簡単なことではありません。自分以外の細胞は体が異物だと認識し、排除しようと攻撃する「拒絶反応」が起きてしまうからです。

 では、どのようにして拒絶反応が起きないようにするのでしょうか。現在、移植用として考えられるiPS細胞には以下の3種類があります。

  • 自分の細胞

  • 拒絶が起きにくい型を持つ人の細胞

  • ゲノム編集した細胞

 自分の細胞を使う方法であれば、拒絶反応はまず起こりません。しかし、自分の細胞からiPS細胞をつくるとなると、現時点では1人あたり数千万円以上のコストと半年以上の期間が必要です。低コストと短期間での提供を実現するため「拒絶が起きにくい型を持つ人の細胞」または「ゲノム編集した細胞」を使う研究が進められています。

拒絶が起きにくい型とは?

 拒絶が起きにくい型とはどのようなものでしょうか。そもそも拒絶反応が起きるのは、細胞の型が異なるためです。例えば、輸血時に血液型が異なると、拒絶反応で命を落とすリスクがあると耳にしたことがある人もいるでしょう。血液型は赤血球の型ですが、同じように全身の細胞にもHLAと呼ばれる型があります。移植では、HLA型を一致させることが拒絶反応を起きにくくするために有効です。

多くの人に移植しやすい型がある?

 私たちの体がもつ細胞の型は、父親と母親から1つずつ受け継がれ、組み合わせたもので決まります。血液型(赤血球)を例としてみましょう。AO型の父親からAが、BO型の母親からOが受け継がれたとき、血液型はAO型です。AとOのように、異なる型の組み合わせは「ヘテロ接合体」と呼ばれます。ヘテロ接合体と反対の意味を持つのが「ホモ接合体」です。ホモ接合体は、AA型やBB型、OO型のように同じ型の組み合わせを意味します。

 血液型でもHLA型でも、移植を考えたときには、ホモ接合体のほうが汎用性は高くなります。ヘテロ接合体であるAB型の血液はAB型の人にしか輸血できません。一方、ホモ接合体であるAA型の血液であれば、AA型やAO型、AB型の人に輸血でき、1つの型でカバーできる範囲が増えます。

 特にHLA型は、血液型よりも種類が多く、完全に型が一致する人は数百〜数万人に1人の割合でしか存在しません。ヘテロ接合体の細胞を移植するには、HLA型が完全に一致する必要があります。一方、ホモ接合体であれば、片方の型のみ一致すれば拒絶反応は起こりにくく、より多くの人に移植できると考えられます。

 iPS財団でストックしているのは、ホモ接合体を持つドナーからつくったiPS細胞です。現在、7種類のホモ接合体をストックし、日本人の約40%はどちらかの型が合うようになっています。(CiRAニュース 2019年3月19日

ゲノム編集したiPS細胞とは?

 今回、iPS財団が提供をはじめたのは、ゲノム編集したiPS細胞です(iPS財団おしらせ 2023年6月14日)。今後、iPS細胞ストックを全世界で使えるようにするには、数万通りのHLA型に合うストックが必要になります。すべてそろえておく方法は、管理コストと時間がかかるため現実的ではありません。そこで、ホモ接合体のドナーからつくったiPS細胞にゲノム編集をほどこし、さらに多くの人に移植できる可能性に着目しました。

 ゲノム編集とは、はさみの役割をもつ「酵素」を使ってDNAを切断し、遺伝情報を書き換える技術です。DNAを切断することで、今まで持っていた機能をなくしたり、逆に付け加えたり、性質を変えたりすることができます。ゲノム編集iPS細胞は、異物だと認識されやすい部分をなくすことで、拒絶反応を起きにくくしているのです。(CiRAニュース 2019年3月8日

拒絶反応に関わる細胞たち

 拒絶反応には、キラーT細胞、ヘルパーT細胞、NK細胞と呼ばれる免疫細胞が関わっています。3種類の細胞は、本来ウイルスやアレルゲンなどの異物を排除するために働く細胞たちです。しかし臓器移植などをきっかけに、自分のものではないHLA型をもつ細胞が免疫細胞に見つかると、攻撃がはじまり拒絶反応の原因となります。

 移植した細胞が攻撃を受けないための工夫として、免疫細胞に気づかれないようにする方法があります。キラーT細胞がチェックを担当する型(A、B、Cなど)とヘルパーT細胞がチェックを担当する型(DR、DP、DQなど)をなくしてしまえば、これらの免疫細胞に気づかれず、拒絶反応は起きません。

 しかし、ここでNK細胞が関わってきます。キラーT細胞が担当するグループをすべてなくすと今度はNK細胞からの攻撃がはじまります。キラーT細胞の担当グループのうち、2つの型(CとE)にNK細胞の働きを抑える役割があるためです。そこで、iPS細胞のゲノム編集では、この2つの型だけ残してNK細胞の攻撃を避ける工夫がされています。(参考:iPS財団 iPS細胞ストックの細胞(ゲノム編集)

HLAゲノム編集iPS細胞でどんなことができる?

 現在iPS財団では、ホモ接合体を持つドナーのご協力で、日本人の約40%には拒絶反応が起きにくいiPS細胞を提供できています。今後、国外もカバーするとなると、何万通りものiPS細胞が必要です。すべての種類を臨床で使える高い品質でストックしていくには、莫大な時間とコストがかかるでしょう。

 HLAゲノム編集iPS細胞は、体から異物だと認識されやすい部分をなくし、拒絶反応が起きにくい工夫をしています。1人のホモ接合体ドナーでカバーできる範囲よりも広くなり、時間とコストを抑えられる可能性があるのです。しかし現状のデータでは、すべての拒絶反応を回避できるとは言いきれません。臨床で安全に使えるか、本当に効果があるか、今後慎重な検討が必要です。今回、iPS財団からHLAゲノム編集iPS細胞が提供されたことを機に、提供先の研究機関や企業で実用化の検証が進むことが期待されています。

  1. この記事を書いた人:吉野 千明
    iPS細胞研究所で実験するフリーライター・編集者。オウンドメディアやプレスリリース、インタビュー記事など、これまで執筆・編集した記事は200以上。 得意ジャンルは、企業向けメンタルヘルスとサイエンス。
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