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Focus

2023年10月4日

ナイーブなiPS細胞がひらくヒト発生研究

THE WORLD LOUNGE Co&Co KYOTO(京都市)で開催された第34回CiRAカフェ

"ナイーブ"なiPS細胞?

 2023年7月2日、京都市の会場で、CiRA髙島康弘准教授をゲストに迎えた第34回CiRAカフェ「"ナイーブ"なiPS細胞?」を開催しました。イベントには20名程度の一般の方にご参加いただきました。

 髙島先生は、2007年から2014年まで、イギリスのケンブリッジ大学で「ナイーブ型ヒトiPS細胞」を作製する研究をしており、2014年に論文を発表しました。2015年にCiRAに着任してからもこの細胞を用いて研究を続けています。

 CiRAカフェでは、ナイーブ型ヒトiPS細胞ができるまでのお話をしていただきました。この記事では、その内容を簡単にお伝えし、髙島先生の最新の研究テーマである「胚モデル」研究とナイーブ型iPS細胞の関係についてご紹介します。

ヒトES細胞とマウスES細胞は異なる特徴をもつ

 ヒトの胚から作製する胚性幹細胞(ES細胞)は、1998年にアメリカのジェームズ・トムソン博士によって樹立が報告されました。ヒトES細胞は、マウスES細胞と比較すると、多能性を維持するための培養方法やコロニーと呼ばれる細胞群の形などが大きく異なっていました。

 ヒトとマウスのES細胞は、どちらも「胚盤胞」という、同じ時期の胚の細胞をもとに作られています。当初、これら2つの細胞の特徴の違いは、生物種による違いであると考えられていました。

 しかし、胚盤胞より少し発生の進んだマウスの胚の細胞から作る「エピブラスト幹細胞」が2007年に発表され、その見方を大きく変えました。マウスのエピブラスト幹細胞が、ヒトのES細胞にとてもよく似ていたのです。

発生の過程と多能性幹細胞の分類

ヒトとマウスでは発生の時期が違う?

 発生の進んだマウスの胚からヒトES細胞に似た細胞ができたことで、多くの研究者はヒトES細胞が胚盤胞よりも発生の進んだ細胞の状態に相当するのではないかと考えるようになりました。

 この考えのもと、研究者たちは、初期発生により近いとされるマウス多能性幹細胞の状態を「ナイーブ型」、それより進んだ時期の特徴をもつとされるヒト多能性幹細胞や、マウスのエピブラスト幹細胞の状態を「プライム型」と呼び分けるようになったようです。

 この考えが正しいことを示すには、ヒトのES細胞からさらに発生の時期を巻き戻した、マウスES細胞に似た細胞を作ることで、ヒトでもナイーブ型の細胞がありえることを証明する必要があります。2007年以降、各国の研究グループがこの課題に取り組み、当時は誰が最初に成功するかという大競争だったといいます。

 2007年にイギリスへ渡った髙島先生もその競争に参画することになりました。2007年といえば、山中伸弥教授らによって、ES細胞とほぼ同じ性質を持つiPS細胞をヒトの皮膚細胞から作製する方法が発表された年でもあります。ヒトiPS細胞もまた、ヒトES細胞と同様にプライム型でした。

 髙島先生は、この体細胞を初期化する手法を参考に、山中4因子のように細胞に遺伝子を導入する方法とさまざまな培養方法を組み合わせて、条件を試行錯誤し、ヒトのナイーブ型iPS細胞を作ることに成功しました。ナイーブ型ヒトiPS細胞の作製成功を論文として2014年に発表し、ヒトとマウスの多能性幹細胞の違いに関する仮説を裏付けました。

CiRAカフェで話す髙島准教授

ナイーブ型とプライム型の能力の違い

 2015年にCiRAに着任してからも髙島先生はナイーブ型ヒトiPS細胞を用いて研究を続けました。ナイーブ型は、より受精卵に近い早期の段階にあることから、プライム型のヒトiPS細胞からは作ることのできない細胞を作ることができると考えました。プライム型iPS細胞から胎盤を構成する細胞を作ることはできていませんでしたが、ナイーブ型であればこれができるのではと考え、試した結果、作ることに成功しました。

 ナイーブ型iPS細胞から作った胎盤の細胞は、本物の胎盤の「モデル」として研究に使うことができます。髙島研究室では、妊娠の合併症など胎盤に関する病気を調べる研究が行われているそうです。

ナイーブ型ヒトiPS細胞

発生は分化誘導のお手本

 胎盤にかぎらず、ヒトの胚発生にはまだまだわかっていないことがたくさんあります。ヒトiPS細胞を用いて、さまざまな細胞を作ることができるようになれば、それだけヒトの体のことを研究するための選択肢が増えます。また、そうして作った細胞は再生医療へも応用されていきます。

 iPS細胞から体の細胞を作ることを「分化誘導」といいます。分化誘導の方法は細胞の種類ごとに異なり、個別に研究が必要になります。また、分化誘導法がある程度わかってきた細胞でも、実際に体内で機能している細胞の分化状態に近づける方法の研究が続いています。

 分化誘導方法は、さまざまな培養条件を試すことで研究者たちが編み出したものです。彼らが分化誘導方法を作る参考にしているのが「発生」です。どのような過程を経て細胞が分化し、独自の機能をもつようになるのか、発生を知ることから多くの着想を得てきました。

ヒト胚のモデルをつくる

 近年、ヒトの発生を理解する新たなブレークスルーとして注目が集まっている「胚モデル」という研究のアプローチがあります。胚モデルとは、iPS細胞やES細胞のような多能性幹細胞をもとに胚盤胞など初期胚を構成する細胞を作り、胚に似た3次元の構造を作ったものです。

 精子と卵子が受精してできるヒトの胚は、これまでもES細胞の樹立など研究に用いられていますが、生殖補助医療である体外受精により作製されたもののうち、母体に戻さなかった余剰胚を使用しており、非常に貴重なものです。さらに、ヒト胚の体外での培養は受精後14日を超えてはいけないという国際ルールがあることから、その後について研究することができませんでした。

 こうしたなか、ヒト胚を用いることなく、多能性幹細胞から構築した、ヒト受精胚に類似した細胞群の構造体である「胚モデル」が考案され、研究されるようになりました。ヒトの発生のモデルとして用いることで、不妊症や流産の研究や、胎児への薬剤の安全性を調べるために利用できると期待されています。

 さらに、ヒトの初期発生メカニズムをより正確に理解することができれば、再生医療において、より本来の発生に近づけることで多能性幹細胞から各種体細胞への分化誘導法の改善につながること、複数の細胞種からなる組織や臓器の作製技術の開発にも役立つことなど、さまざまな応用が考えられます。

 髙島研究室も胚モデル研究に取り組んでいます。ナイーブ型iPS細胞を用いて、初期の段階の胚を構成する数種類の細胞を作製し、胚盤胞に似た胚モデルの構築を行う計画です。

 「ナイーブ型iPS細胞から構築する胚モデルでは、より『正しいもの』、自分たちの体に近いものができてくるのかもしれません」と髙島先生は話します。「より初期発生に近い細胞から3次元で胚の構造を作っていくと、より生理的なものができ、より生理的なものができるということは、臓器がどのように形成されていくのか、そもそもヒトの発生が実際にどのように進んでいくのかを正確に知ることができるのではと期待しています」

ナイーブ型ヒトiPS細胞を用いた
胚モデル研究のイメージ

ヒト胚とヒト胚モデルの倫理

 ナイーブ型iPS細胞を使ったヒト胚モデルは、ヒト胚ではないものの、胚と同じ発生能力をもつ場合や、技術の進展によりヒト胚に近いものとなっていくと予想される場合、それらをヒト胚と同等に扱うべきという考えがあります。

 しかし、現段階では、マウスの実験において、胚モデルは正常に個体へと発生しないと確認されており、胚モデルがヒト胚と同等の機能を持つことは今のところないとの見方が科学的には妥当といえそうです。

 ヒト胚モデル研究の到来を受けて、日本でも内閣府の科学技術・イノベーション推進会議 生命倫理専門調査会がヒト胚の研究での取り扱いを見直す議論を始めました。生命倫理や法学、医学、生物学などを専門とする有識者が集まり検討を重ねています。

 CiRAからも上廣倫理研究部門藤田みさお教授が内閣府の調査会に参加しています。藤田先生は髙島先生が代表を務める研究チームの一人で、倫理的にどのような取り扱いであればヒト胚モデルの研究が可能かを検討しながら研究を進めています。

 ナイーブ型iPS細胞を使ったヒト胚モデルは、新しい研究分野を切り開く力を持っています。どういった研究が社会に受け入れられるのか、社会と対話をしながら進めていくことが求められています。

  1. この記事を書いた人:三澤 和樹
    京都大学iPS細胞研究所 国際広報室
    サイエンスコミュニケーター
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